藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『FILE070:「シンプル最高/再考」』を見た。”

2009.04.28.O.A.
爆笑問題のニッポンの教養
FILE070:「シンプル最高/再考」
を見ました。

原研哉(はらけんや)先生。

以下、番組での言葉をメモりながら。

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コミュニケーションのデザイン。
見た瞬間、人の頭の中にインプットする。

スウォッチビルの時計の光。コンクリート光ファイバーを埋めこんだり。香水の箱がまっすぐになってなくて隙間があったり。
さりげないところでビックリさせる。

キッカケは大学時代に。デザインという概念に惹かれた。

シンプルに。
シンプルがいつぐらいに生まれたか。
石器時代の石とかで、石がシンプルとは言わない。プリミティブ(原始的な)ではなく。
シンプルはコンセプチュアルなもの。

シンプルはすごく複雑なものを経て出てきた。

(写真を出して)青銅器のカタチなんて いきなり複雑。

世界は 複雑から始まるんですよ。

村とか国とかが力を誇示するために。威光の象徴のためのデザイン。


王様の統治が終わって、自由な社会がやってきた。
市民社会。人間と物との関係を もっとダイレクトに もっと合理的に。
最短距離でものづくりをしましょうというのが生まれてくる。それがシンプル。


日本は世界中から影響を受けてた。
ユーラシア大陸を90度回転させてみた図。地図をパチンコ台に見立ててみると、日本はパチンコの受け皿の位置にくる。

室町中期くらいまでの日本は、かなり豪華絢爛。
中国、ローマ、インドの影響があった。
が、

応仁の乱
((1466〜1477)室町時代後半、11年続いた大乱。これにより京都の大半は焼きつくされた)
…が、一つのキッカケ。

当時の将軍、足利義政。政治力は無かったけど美意識の高い人。

大乱で焼けて、がっかりしちゃったんですね。
そして自身は京都の東山に。銀閣慈照寺というとこに入ってですね。茶とか書とか。

その周りに ふわっと 新しい文化が生まれてくるんです。 その中に
『簡素の美』というのがあるんですね。

義政の書斎、同仁斎…和室というものの原型がある。
日本の美意識は まったく新しく生まれ直していく。
ヨーロッパ発のシンプル。世界中に伝播し近代社会と一緒に生まれた。
しかし
世界の動きとは全く別に 簡素の美に到達した。これが面白い。


(2種類の刃物を出して。)
ドイツ製のナイフと、日本の板前さんが使う柳刃包丁
前者は 持つところが指定される。シンプル。
逆に後者の包丁は指定されない。エンプティ(空っぽ)。

何もないけど、そこに全てがある。
という美意識。

イメージと交換する。イメージを共有する。

太田:基本が 空(から)なんですね。


デザインも共感されたいと思ってやっているワケですよ。その辺はアートと少し違ってて…。
アートは自分しか分かんないんですよ。私はこう思う…と個人の問題。
デザインは共感されないと意味がない。

自分の頭だけで考えるな、と。


太田:主義が無いんですよ。世間っていうのは。
一番大事なのは間なんだ。
人間は人の間。
時間は時の間。
世間は世の中の間。
つまり、空っぽ。

世間って 捉えどころのない。



可能性に いつも覚醒させる。
ある考え方に 凝り固まってしまっている状況を いつも更新していくことがないと つまらない。
デザインっていうのは 覚醒していくこと。


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美意識のルーツ…というのが面白かったです。
世界の国からの影響ではない、静かな、空間ごと捉える“美”、『簡素の美』というのは、確かに独特ですね。

シンプルと一言に言うと、どうしても単純なものと捉えてしまいがちですが、
“何もないけど そこに全てがある”
というのには惹かれましたね。
共感のためのデザインが難しいかも…とも思ってしまいましたが。

あとは太田さんの発言の“世間”に関するくだりが興味深かったです。

デザインの“再考”というタイトルに相応しい回だったのではないでしょうか。