2011.11.03.O.A.
爆問学問 FILE165:「世界はもっとカラフルだ!〜共感覚のフシギ〜」 を見ました。
・長田典子(ながたのりこ)関西学院大学理工学部教授(感性工学)
先ずは以下、HPから番組内容をコピペ。↓
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太田:「(共感覚を持っていることが)苦しい人もいるわけだ?」
長田:「苦しい人もいるんですけど。お子さんでね、計算をしているでしょ。そうすると、答えが嫌な数字の並びになったりすると、嫌だから、自分にとって綺麗な(色の並びの)数字に書き換えたりするんですって。」
太田:「計算間違っちゃうんだ。それつらいよね。」
長田:「私も小さい時は今よりもっと色に縛られていてね。小さい頃は偶数しか許せなかった。奇数の存在は許せなかったですね。」
太田:「「5」とか言われると。ムカツクの?」
長田:「すごいムカツクんです。とにかく偶数の世界で閉じないと生きていけなかった。」
太田:「いつ5を許したんですか。」
長田:「5を許したのは中学校ぐらいですよ。」
太田:「中1の時とか自分がゆるせないじゃん。11歳の時とか。」
田中:「11歳の小学5年生とか最悪じゃん。でも、それは年を重ねていって、柔らかくなっていくんですね。」
長田:「そうですよね。だんだん許せるようになってきて。例えば味なんかで、昔は大根おろし嫌だったけど、何かおいしさ分かってきたな、みたいな感じがあるじゃないですか。あんな感じで、まあこの5の苦味もいいやっていうか。」
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なんだろう…とても不思議でした。
FILE162の田中氏の感想に以前ありましたけど、こういうコトなんですね。
しかし、私は全く分かりませんでしたよ。
おそらく、太田さんと同じような感じで。分かり合いたいけど、わかれないような。
で、しかもその共感覚も、その感覚を持っている人同士が、同じ色とかに見えてるワケじゃないんですもんね。
“田”の字は黄色とか。けど別の人は苗字・名前単位で一色、とか。
しかもそれがキャラクターとしてのイメージとは意味が異なるとか。…尚わからないわ。。。
共感覚の説明で、1が赤とかの刷り込みが直結して、そのままの感覚でー…っていう解説のVTRがあったけど、そんなのは、
「“太田”の字がグラデーションに見える」って言葉の説明にはならないよね。
だからもう、それは脳の個性で『そういうふうに感じるものだ』ってコトになっちゃうんでしょうか。。。
…まぁ、そうなると、そこで太田さんが言うように、その固定概念を取っ払いたい っていうのは分かるんですけどね。
脳がこう感じるからこうなんだ! …っていうその、どうしようもないものを覆したい っていう気持ちはね。
田中氏の感覚は本物なんでしょうねぇ…。数字の並びが暗い〜明るい ってなんぞ…。カドでカクッと曲がるとか。。。
『黄色い声』とかの、共感覚的比喩、っていうのは、私の中では実際にそう見える っていう、共感覚に基づくんでは無くて、イメージとか個性に基づく表現だと思ってたましたね。
『甘い声』っていうのとかね、チョコレートのように溶けて…とろけるような…っていう意味でね。
面白かったんだけどなー、その共感覚に共感できないのが残念ですよ。共有できないなんていうのが…。
イメージでは無い。刷り込みでも…きっと無いと思うから。不思議としか言えないですね。。。