09.02.04.更新の、ほぼ日『今日のダーリン』より一部引用。
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「送り手」と「受け手」のある いろんなジャンルにおいて、
ただの「受け手」って、いなくなってるんじゃないか?
観客席の人たちが、いつのまにか楽屋に入りこんでて、
ダメ出しをしているような感じなのかなぁ。
〜(中略)〜
どんどん分析的になって、受け止めるというよりは
「評価する」「批評する」という姿勢になっているのは、
つまり、「お客のいない劇場」がいまの社会なのかねー?
「一億二千万、総コンサル」の時代かよ。
‥‥って、こんなこと書いてるじぶんがいて、
それを読んでるあなたがいて、ってのもヘンなもんだよ。
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こちらなんですが、江原さんの言われる、今を『一億総評論家時代』というのと同じ意味合いでしょうか。
で、ですね。
ネットの時代になってメディアが双方向になった。受け手側が『発信側』にもなった。と表現されたのは『ほぼ日』でされてたんだったかなぁ?
誰もが『発信側』の舞台に上がる時、どうしても『批評する立場』に傾く人も出てきてしまうのは仕方ないと思うのですが。
まして市場で流通してる本でもグッズでも、それをレビューしてるブログがあったりして、そのブロガーが有名になったり、ブログで紹介されたものがamazonに反映されたり、ブロガー本人にメディアが取材依頼したり。
勝間さんブームの影響があるのかもしれませんが、誰もが『表現者』になる時代ですし。
それで…なんだろう、なにかを受けての『感想』が、「なんでそうなったんだろう」と考えたりする中で思慮深くなってしまうというか。
『感想』が『すごかった』『面白かった』だけになると伝わりにくかったりして…で、それが本とか作品を薦めにくくなったり。まして前提として『面白いと思うのが人によって違う』のだとしたら、『分析して作品を紹介』せざるを得ないのでしょうか。
ただ『分析して受けとめる』だけじゃなくて紹介もするから…?
もしくは、『評価されたい』気持ちがあるから、なにかを『評価したい』気持ちの裏返しとか…?
まぁ……、糸井さんも文の最後に、
『 ‥‥って、こんなこと書いてるじぶんがいて、
それを読んでるあなたがいて、ってのもヘンなもんだよ。』
と、結んでらっしゃいますが。私も此処まで書いておきながらよくわかりません。(^^;
ほぼ日『就職論』の『ザ グレート フリー』対談の中で、『ちやほやされたい』っていうのがありましたけど。
ブログの書評とかを仕事に置き換えて、『就職論』とも繋げると『ホメられたい』という動機もあるのではないでしょうか。