昨日(4/7)のほぼ日、今日のダーリン(糸井さんのコラム)より。
以下、コピペ。↓
2013.04.07.今日のダーリン・テレビを見ていても、日常のなかにいても、
同じように感じているのですが、
若い人たちが「ほんとに」ということばを、
ものすごい数、使っていますね。
けっこう前から、ずいぶん「ほんとに」が多いなぁと、
気になってはいたのですが、このごろは、
「ほんとにほんとに」と、二階建ても多くなっています。
「ありがとう」じゃ足りないのでしょうね。
「ほんとにありがとう」でないと、
ただの、ありふれた「ありがとう」になっちゃいそうで、
いやなんでしょうね。
さらには、「ほんとにほんとにありがとう」と
大盛りにしておかないと、
よくある「ほんとにありがとう」と同じになっちゃう。
やがては、「ほんとにほんとにありがとう、ほんとだよ」
とか、大盛りを超えた「でか盛り」にするんだろうな。
若い女の子たちの間で、
最も「ほんとに」は目立つのですが、
お笑いの男の芸人さんたちの間でも、
少なくない数の「ほんとに」が交わされていますよね。
あんがい、ぼくの知らないところで、
大量の「ほんとに」が増殖しているのかもしれない。
こういうことは、世間の風向きみたいなものだから、
ぼくの会話や文章にも「ほんとに」が増えてるかな。
そんなこともないような気がしてますが、
ひょっとしたら増えてるかもしれませんね、ほんとに。
「ほんとに」をつけないと、
相手に、ウソだと思われちゃうって、
心配しているということなんでしょうか。
世間が不信に満ちているから、「ほんとに」で、
じぶんたちの「信」を表現しているというわけなのか。外国の若い人たちも、「ほんとにありがとう」とか、
「ほんとに好きだよ」とか、言ってるのかなぁ。
日本だけのことだとしたら、それも興味深いですよねー。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「まじで」もあったし、「うそっ」の相づちもあったね。
(以上 コピペ)
あぁ、よく使いますね。私も。
だいたい自分の言葉を強調するために使います。ウソではありませんよ。ほんとうですよ。 って意味で。
うーん、別に“盛る”つもりは無いんですけどね。盛ってるつもりは。
「ほんとに」をつけないと、
相手に、ウソだと思われちゃうって、
心配しているということなんでしょうか。
世間が不信に満ちているから、「ほんとに」で、
じぶんたちの「信」を表現しているというわけなのか。
それはありますよね。
テレビの世界を通じて不信に満ちてしまった っていうのもあるのかもしれませんけど。
ほかはやはり話を盛り上げるためとしてスパイスとして嘘をリアルの会話に混ぜることも・混ぜるひともいるので その会話との差別化 っていうのもあると思いますよ。
それと友人同士のコミュニケーションでも、なかなか真意が相手に伝わらないときに、
「ほんとだよ!」
って念を押すことで、
「(私のことを)わかってほしい!」
っていうのがあるんじゃないですかね。少なくとも私には少なからずありますよ。きっと。(苦笑)
『ありがとう』に“ほんとに”を盛るときには、主観ですけど『ありがとう』がインフレ化しちゃってるというかゲシュタルト崩壊してるというか、そんな印象があるんですよ。
形式上の っていうか、「はいはい ありがとう」みたいな。それは言ってるほうがそう思ってしまうことがあるんですよ。
「なんでもありがとう言っておけばいいだろう?」
みたいなさ。
『なんでも色んなものに感謝すればいい』みたいなエゴがたまにあるので感謝に心が見えなくなってしまってるような気がするんですよ。
少なくとも私には少なからずありますよ。きっと。(苦笑)
これほどまでに言葉を使ったやりとりが盛(さか)んになってしまったからこそ、言葉が薄っぺらくなったのかな、心が言葉に乗りにくくなったのかな? とは思いますよ。
っていう時代の流れゆえに思うことかなぁ、なんて思ったのですが、タイトルに上げた通り、
『ほんとにほんとにご苦労さん』
っていうドリフのそれがあるので(笑)、時代関係ないのか、皮肉での“ほんとに”を盛ってるのか分かんないですけどね。(笑)
んで“ほんとに”自体に“ほんとに”を盛る・重ねると疑問や疑念を生むような気がするので“ほんとに”も胡散臭いなぁ、と思ってしまうものです。ほんとに。