藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『おちょやん 第20週。[第100回]』 謝罪と赦し。”

キャプはNHK朝ドラ『おちょやん』より。

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(許してほしい と言っているワケではなかったとは思うけど、)謝罪をさせてあげて、その謝罪を聞いてあげなきゃいけないのは鬱陶しいな。


謝ること って何のためでしょうね。
自分がラクになりたいだけなら相手の為じゃないですし。自分の為ですよね。

過剰に謝罪を受けること、へりくだられること、それ嬉しいのかな。
萎縮させて、気を遣わせて。

起きた事の、大きさにもよるでしょうけど。


遺恨が強ければ強いほど、もう無理でしょう。

その場で仮に、謝罪された方が許したとしても、受けた傷が癒えることが容易ではない場合もあるし、許したとして、受けた傷を怨恨として使うことが出来てしまう頭が働く時点でもう無理だ。




けど、自分がやらかした側なら、
とりあえず、謝っておきたい気持ちにはなるでしょう。
謝って、スッキリしたい気持ちにはなるだろうね。
とりあえず詫びたい。

自分が本当に潔白に生きていける自信なんてないから、
先の為に、たとえ怨みが残っていようとも、許しておくことで先の未来の自分の失敗が許されたい気持ちもある。

主観をどこに置きたいのか という部分でもあるけれど。








……今、仮に私が千代の立場なら、と考えてみようとしたんですけど、
しんどかったのでやめました。
正常な判断ができないような気がしたので。

上につらつらと書いたけど、謝罪とか赦しとか、安易に考えられないだろうな。実際。