前回書いたのがイマイチ書いてて身に沁みなかった。
今回はその書き直しというか、続きというか、付け加えというか。
嫌われたくない、怒られたくない。見捨てられたくない。
いや、そもそも、そんなことに怯えるとか、その集団における自分との関係がそもそも合ってないんじゃないの? っていうのが一つ問題なんじゃないの? と。
技術や能力や、趣味思考、話術e.t.c...。それを対価に払わないと所属できないような空間に無理して座ってるのか? と。
や、最低限の礼儀とか品性・人格はね、その集団においては当然ですよ。敬意を払う、というのは。
人間関係が利益の提供になってることへの疑問?なのかな。
うーん、単純に誰かに見捨てられると、生きていけない というそこになるのかな。
前回も親とはぐれた子どもが泣くことについて書いたけど。
子どもが親に食べさせてもらってるから、なにか悪いことしたら、もしくは点数悪かったら「ゴハン抜きよ!」って言われることによる、生存本能が、食による生存本能が阻害されることが。
それが過去から永続的に影響してるのかしら。
全てが利害関係で、利害関係が生きることを脅かすものに繋がる。
あぁ、なんかそうして嫌われないように見捨てられないように生きてることって、結局他人の価値観に依存させられてることになるのかな。
で、その価値観がそれぞれ許し合い得ないからこそただただどちらかに傾くしかなくて、その価値観を折るか折られるかになってしまうのか。
逆に、見捨てられると生きていけないのか。…というと現在の日本ではそうでも無いと思うけど、“周り”とか“世間”とか“社会”からの風当たりで生き苦しいのは事実あるよね。
それは選ばれることによる満足…自己承認欲求が満たされることによって安心感を得たりするからか。
なんだろうなぁ、その見捨てられたくない一心で必死になってしまうんですよね。
その集団に留まりたい気持ちというか。その集団にいれば食いっぱぐれないっていう。
別にその所属集団が全てでは無いんだけどさ。
環境変わるの恐いやんね。
私事ですけど、や、実際私、友達とかどんどん減ってるからね。私の仕事の日と遊ぶ日合わなかったりとか、仕事でイライラしてるからあまり他の人と時間をつくる っていうのがどこか苦痛で 一人になりたくなってしまったりとかね。
こうして私が見捨てられていくからこそ、しがみつけるところはしがみつきたい心情に駆られてしまうのかもしれないね。
で、少ない友達を無理矢理キープするために自分を繕ったり。
このご時勢だからこそ職にあぶれると困るから。無能でヘタレの私がなにか働けるとも限らないからこそ、かろうじてなんとか働けてる今の仕事にイヤでもしがみついてたりね。
あぁ、これだよ。これこれ。
仕事がなくてもね、資産がなくてもね、人間関係に恵まれていれば衣食住の何かしらはお世話になれるから、だから人間関係を無理矢理にでも築いておいて利益…というか生きるための保障が欲しいっていう、そこだと思うわ。
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結婚もそうだよね。というか上記の文で一番分かりやすく当てはまるね。
これにあまりにも固執してしまってることが一つの原因ではあるやね。
あと見捨てるとか嫌われるとか怒られるとかでの不安っていうと、ダイレクトに生命が脅かされる不安とかね。
これも私のことで言うと、実際、怒られたことによって脅迫的な発言とか受けましたからね。
「ぶっこ…」は言われてないかな。「ぶん殴るぞ!」とは言われましたね。あぁ、仕事の話ですよ。
だから誰にでもいい顔しなくてはいけなくなったり、その人の満足を満たすべく完璧であろうとしなくてはいけなかったりね。
(つか これ、フツーに脅迫罪ですからね。刑法に触れます。)
でもきっと、言ってるほうは、立場や環境の都合が整備されていれば、言ってるほう自身が見捨てられることは無いですからね。その自信があるからなんでしょうけどね。脅迫したがるのは。思い通りにしたがるのは。
あ……いや、逆に不安があるからそういうこと言う、ってことも考えられるね。
思うような結果を得られなかったのはその発言者自身だからこそ、『恥かいた』とかがあるからかもしれなくて、そこがゆえに、その『恥』が自尊心を傷つけたからかもしれないね。
(私は言われてないことですけど、例えば営業とかで「契約取れなかったら死んでこい」っていうのもそれに当て嵌まるんでしょうかね。「死んでも取ってこい」っていうのは。)
(過去エントリに書いたかもしれませんが、この発言の裏に人格上での双方の尊重や敬意が示されてればいいと思うんですけど、それが無い、一方的なものだったらダメでしょうね。)
(……つか、いじめ問題に繋がるね。)
………まぁ、だから『見捨てられたくない』っていうのはあるんでしょうね。
で、そうして『見捨てられたくない』一心で、全てを迎合していると、
結局、自分自身を見捨てていることになるんだけどね。
自分で命すら捨てたがってしまう。
拭いきれない違和感をいつまでも感じ続けていることに耐えられなくて。
“自分が見捨てられなければなんでもいい”のか。
自分を見捨てるのはなんでもいいのか。
そうまでして生きることにしがみつかなければならないのか。
否、生きることってしがみつかなきゃいけないものか?
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蜘蛛の糸のように。
だとしたら、ただ憐れ。
能動的な活動を制限されることは不健康になる・体に不調をきたす と、過去にも書きましたけど。
可能性を制限しないように。自分の・他人の失敗に寛容でいられるように。
ネガティブな案件が、内包しているものを見逃さないように。
“それ”を赦せないのは何故か。
“それ”を要求するのは何故か。