藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『孤独』というより『孤立』?『社会的排除』について。”

[外部リンク]:『深刻な問題の要因となり得る「孤独感」をはかる20の設問』(kyousyoublog)

点数数えてやってたら44点超えて『孤独感の強い人』認定。(苦笑)


まだリンク先記事の方は本の途中のようですので、詳細は分かりかねますが、最近私が考えてるコトでもあるのでメモも兼ねてここに残しておこうと。


よくあるのが集団の中での『孤独』と、一人で部屋にいる『孤独』。
前者は明らかに『孤立』だと思うんだけど、さらに言うと『孤立』ですよね。
主観的な自己認識。

で、孤立しているように感じるのは、自分の意思が伝わってないと感じるときであったりとか、疎通が図れてないと感じるとき。

結局“どう感じるか”なんですよね、その人間関係間においての自分の立ち位置というもの、その客観性を。
ある集団の中にいる自分の『孤立』を俯瞰で眺めてるような。
「あぁ、相容れないなぁ」
なんていう思い。
「あぁ、私 浮いてるなぁ」
って。

で、
社会的排除』についてですけど、でもこれ実際考えてみても、よっぽど犯罪とかやらかさない限り、『社会的排除』なんて滅多に受けるものじゃあ無いと思うのよ。
けど、それを恐れる気持ちは確実にあるのだけど。

そうで無い限りの『社会的排除』はやっぱり主観ですよね。
……今思ったのは、就職活動とか失敗し続けていると自分の中での社会での『不必要感』が沸いてくるようなものはあるのでしょうけど。『社会的排除』されてるような、ね。
相手先の企業にその『排除』という意思がなかったとしても。

それは新卒でないといけないとかいう履歴書の清潔感を望むような。
(…こういうのが失敗を許さないような窮屈さを生じさせたりね。)


就職の話はさておき。



社会とか、ある一つの集団から『浮いてる(と感じる)』とか『孤立している(と感じる)』と、何が不都合なのだろう。
きっとゴハンは食べれる。…衣食住に困ることはたぶん日本ではよほど無い。生きていけないことはきっと無い。……まぁ、細かいこと言うと困窮してる方はいないなんて断言できないけど。

衣食住に困ることよりも、『孤立』を恐れるのはなんでなんだろう。

たとえば共感性というものが重要だという。
他者と共感したい気持ちというのを持ってしまうのは何故だろう。
他者の共感を得ようとせずにゴーイングマイウェイしてる人が共感を集められてると嫉妬するのは何故だろう。

そうして本音は誰かと分かり合いたいのに、
「どーせ私のコトなんて理解されない」
と、ふてくされて閉ざして。
リンク先にもありましたけど、『差し伸べられた手を振り払ってしまう』ような気持ちにさえなるような。


[外部リンク] : 『【読書感想】評価と贈与の経済学』(琥珀色の戯言)

他人に弱みを握られるような気がする、というのはなんか分かる。
協力すれば、信頼すればネカフェじゃなくても…それこそphaさんみたいにシェアすればあまりお金なくてもそこそこやっていける。


弱さを出すことや本音(皮肉るとか毒吐くじゃなく)を出すのを恐れるのは何故だろう。
でも きっと受け容れられないだろう…と感じて、引いて、孤立は深まる(と感じる)。
…少なくとも、『受け容れられてない』と他者を疎むのは『受け容れられてないと感じている、自分自身しか結局見てないがゆえかもしれないな。
と思いつつ。