藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“2011.10.13.”

大体ね、その人がどんな悩みを抱えて生きているかなんてコトは知らないし、フツー知らないし、知ろうともしないし で ね。

ましてや、臨床というか、カウンセリング的な見地ですと、普段はニコニコしてて、相談にもヘラヘラ笑いながら、自分のことを客観的に、その自分の辛さを淡々と喋ったりするmので。


だから急に、劇的に、人がおかしくなって壊れてなくなってしまう。 …なんてコトは無いのだ。と思う。
おかしい だとか、おかしくない だなんて言うのも、一体なにを基準におかしいだとか言う是非を論じようか。そんなものは分からない。


これまでのこのブログのエントリで、重めの記事を書いてる中で、生きる意味は無い みたいなコトを書いてますが、それは変わらず。
何かを残すこと、何かを受け継いでいくことに、何の意味があるのだろうか。と。
それ自体が、何か 縛られている行為ではないかと。


…とは思いますけど、順序があるよ っていうか、準備に気付けないと不安というか。
そして受け手も準備できてないと辛いというか。


色々勘ぐったりも出来ますけど、そんなのは勝手な想像。
やりたいことはあっても、それを投げ出してしまったほうが どれだけラクか なんて思うことは分からなくもないから。
その投げ出すのも、壮大にね。

だから投げ出されたほうの気持ちなんて考えるワケが無いのですよ。
取り返しのつくレベル、つかないレベルを問わず。


とりあえず、生きるのを壮大に投げ出してしまったほうがどれだけラクか。と。
…そう思ってしまう根っこのほうだけ、 考えつつ。