藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“d.a.r.k. 死[-four-]”

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mooth1006u3.hatenablog.com

 

 

他人っていうか、身内とか友人・知人を亡くすのはそれはとても悲しいことだけど、自分 が 死ぬ ことに関しては別に大したことないんじゃね? と思ってる側面があって。

 

自律神経やられてるので、足先とか冷えることもままあるんよ。で、運転しながらさ、足冷えてきたりすることもあったり、目が疲れてきてチカチカすることもあってさ、「あー、事故とか怖ぇーなー」とか思うんやけど、それと同時に「まぁ死んでもいいかー」 とか思ったりするし。

 

パニック障害というものを理解してなかったんだけど、急に心臓ドキドキするとか、ものすごい発汗するとか、顔らへんが火照るとか、一方で足が冷えてくるとか、そういやたまにあるなー って思うんやけど。(最近の不定愁訴は全部 自律神経だと思ってるので)

ま、私のこれは、パニックだとは思ってないんだけど、こういう状態にもなったのよ。

 

まぁでも、「死ぬならいいか~」とか思うのよ。

 

自分が死んだあとのことなんて知ったこっちゃなくない?

死人に口なし ですよ。

死まで至らずとも、急に意識失って倒れてしまうんだったら仕方なくない? 記憶がない状態の自分のことなんてどうしようもないじゃんね。

(私ゃ何年か前に職場の健康診断で採血して、そのときに気ぃ失って倒れたことはありますが。)

 

 

メンタル病んでるときにさ、Wikipediaで早逝してしまった人の最期を読んだり、田宮二郎さんのウィキを読んだり。

 

死んでもいいかー って思うと気がラクにならないすかね?

心臓バクバクしてても、「あー… いっかー…」 って感じ。

 

数秒後に死ぬ覚悟と、この先100歳まで生きる覚悟。。。後者のほうがしんどい感じする。(この場合での“後者”の使い方は文脈から分かりますよね。)

 

 

勿論、冒頭にも書いたけど、身内を亡くしたりしたらめちゃくちゃ悲しいですよ。

私が、他人を亡くすことは悲しいけど、私がいなくなることに関しては あまりなんとも思ってない。

 

 

 

 

それよりも私が恐れてるのは、生きること自体の方が圧倒的にハードルが高い。

 

この前のあさイチで、樹木希林さんが出てらしたときに、「全身ガンなのはさておき、網膜剥離で片目が見えてなくて、もう片方までなったら… っていう。そうなると誰かの手を煩わせることになるじゃないですか。」

…というようなコトを言ってらして。割と同感なんですよ。

 

 

私ゃ『脳死は人の死』って定義が嫌いで、脳はあらゆる身体機能の中枢だと思ってるんだけど、そのコトと、実際に人が死ぬ(心臓が停止する)こととは別物で。(書きながら『脳死』と『植物状態』を混同してる気もしますが。)

 

 

私が五体不満足になったり、五感を失ったりしたとしても、

私がただの、物言えぬ肉のカタマリになったとしても…、

 

それでも私は圧倒的に自分を肯定出来るかの自信が 今は無い。

 

このエントリだけでは書ききれないんだけど、これが私の根幹の『恐れ』。

 

他人がそうなったら私はどう思うか、は、今回の論点ではない。

 

私が ただ生きてるだけ になったとしてもそれを肯定出来るだろうか。だけ。