藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“100S”

ちょっと前の話なんですけど、祖母が100歳になったんですよ。

全然めでたくないんですね。

ぎゃーぎゃーと餓鬼のように騒ぐなど、頭のネジが取れたような振る舞いをデフォルトでされるワケです。

歳を重ねると、頭のネジが取れたような振る舞いになるのは前提としてデフォルトなのかもしれませんが、そのような振る舞いを常時されてはたまったもんじゃありません。


かつて、名古屋にゴールド&シルバーという100歳の姉妹がテレビで取り上げられて盛り上がっていた時代があったそうですが、それも昔の話。
今や高齢化社会、100歳なんて珍しいものではない。

なんか地元自治体が祝ってくれて、
Googleで『100歳 国からお金』で検索すると、
『100歳になったら100万円もらえる』と出てましたけど、それは昔の話です。

詳細を書くと私の住んでる自治体に結びついてしまうので書きませんけど、
100万円では無いです。そんなに貰えるワケがない。
そんなに貰えなかったです。


で、
三者や国・自治体は100歳が誉れ高いことであると、すごいと褒めそやすのかもしれませんが、同居してる家族はたまったもんじゃありません。

上記に書いた、『頭のネジが外れた大人』を抱えているのです。

ガキのようだ と書きましたけど、子供の方が成長の見込みがあるぶん許せます。

許せません。


……そういう年老いた身内を見ていると、
長生きなんてするもんじゃないな と有難く拝ませて頂いております。


こども“家庭”庁 の話じゃないですけど、
国や法律様は『家庭』『家族』を既存の価値観に当て嵌めたがります。
責任の押し付け。
ヤングケアラーだの言葉を作って、美談を押し付けたり。

白痴が進みますね。


『教育』で勝手な価値観を押し付け、洗脳し、
歳を重ねて大人がガキになればその面倒を、世話を押し付ける。
げに苦行。
他者を慮る能力の無い者が尚跋扈する。
理解と能力に長けて我慢が出来て、優しい人が損をする世界の構築。

我慢の果てに殺すのは自分か自分以外か。
鬱く死ぃ国ですね。