藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“360°陰陽。”

基本的にこのブログはただの日記ですし、
アクセス数も乏しいので、ひたすら個人的な思うことをひっそりと書き連ねてるだけでして。

ネットで見た色んな書き込み / 記事 を引用しながら、自分のトラウマを吐き出すことに利用したり、
とりとめのない、辻褄の合わない、文章的にやや破綻してるような内容であっても、そのまま書くということをしているもので。
推敲もあまりしておらず、ただ書くことだけを続けております。



いわゆる一般的な、普通の人とは相容れない とは思っていますが、
いったい何を、どこに価値観の基準を置いて、普通と言っているのか という擦り合わせも出来てない状態で、

寛容を他人に求めながらも、不寛容を周りに向けるような人など、主観を大事に としながらも 他方を一切配慮しないなど という方も多く見受けられますので、
そういう人に倣って、『自由』を『奔放』と履き違えながらも、勝手気ままに書いている次第です。



ま、
皮肉というか、卑屈というか、屈折したことばかり書いてることもありますが、別にそう思ったことを実際に他人に向けてるワケではございませんので、
現実に他人に向けて粗暴に感情をぶつけるなどという人より幾分マシだろうとは思っておりますが。
リアルに近しい距離の人は私のブログなんぞ読んでませんので、どうでもいいと言えばどうでもいい話です。

どうでもいい とはよく思ってることです。

一応、17歳(ぉぃぉぃ) という年齢でやっておりますが、それなりに人生、吸いも苦いも経験してきておりますので、“最悪” のパターンを色々考えて行動していて、
いざとなったら死ねばいい 的な思考からは逃れられてないんですよね。

死 に至らずとも、逃げてしまえばいい、関係を断ってしまえばいい とか。

人間関係に深入りする必要は全く無いな と。

自分の人生の主役は自分なんだから という視点でそれはそれで構わないのですが、
逆に言えば、他人の人生にとって私の存在は “モブ(群衆の1人)” なんだから、他方にとって私がどう在ろうとも関係のない話だなと。


少し逸れたことを書くのですが、
たまに昼に放送してる健康系のCMで、高橋英樹さんが、
「役者は替えのきかない仕事なので」
的なことを言われてるCMを見るたびに、

いや… どんなものでも替えはあるよね… って思うもので。



互換性がなかったら、また新しい主流のものを考えますよね って。



だから他人視点においては、私なんてのはただの駒でしかない。


ですが、自分主体として考えたときには、私にとっての私が替えのきかないもので。
他人に求められるから自分を維持したいのではなく。
私が私を大事にしたい というだけ。

巡り巡って普通のこと書いてる感じですが。

だから私は私の為に、『一貫性』も『矛盾』も両立して。
『醜悪』も『品性の良さ』も兼ね備えていければいいじゃないですか。

他人に強いることなく。


そして僅かでも、尊重や敬意が他人と送り合えるものであれたら良いな という希望だけは少し残しておくことにして。