藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“正しさに依存しがち。”

 批判されたくないし、怒られたくない んですよね。

(タイトル迷って付けた。)

『勝ち馬に乗りたがる』っていうよりも、批判されたくない とか、叩かれたくない とか、怒られたくない とか、そっちの気持ちが強いのよ。

正しさが良いとか悪いとかブレることがいいとか悪いとか、正しさがどうとかじゃなくて、楽しさで選べよ って言っても ってよりかは批判とか叩かれることとかのがこわいですね。
楽しくしてることで批判されることもあるからねぇ。



最近は時代的に多少マニアックなジャンルでも市民権を得てるけど、ヲタである ってことも別にそれだけでは叩かれにくいけど、相変わらずニュースとかで事件を報じる際には、
「犯人の部屋には漫画とアニメのDVDがありました」
とか言われるような ね。

で、
これ自体もネットの大きな声を味方にしがちで。

弱者であることで噛みつきやすくなれる っていうか。

「犯人の部屋には漫画とアニメのDVDがありました」って報道されたときに、「これだからマスゴミは」とか反応して叩きたい立場に、叩きたい気持ちになりやすくなれるからねぇ。
叩きたい立場に居たいし、で 尚且つ自分は批判されたくないから、異なる事実とかあっても手の平クルックル返したりして。


批判されたくない が、先にあっての、正しさに安心を求めがち というか。
正義の側に居たくなるというか、で、正しさの側に居れば批判も出来るし?

間違ってると思われたくないすからねぇ。

自分で間違うのはいいけど、間違ってると 思 わ れ た く な い  っていうか。

多層的な世界で、1人1人に常識や正解があって、ま、私みたいな人は色んな人と関わってくると、この人にとっての正解ってのがなんなのか見えてくるんですよ。
見えてくる っつーか、正解を押し付けてくるんですけどね。私の見た目がイカつくないからか言いやすいからなのか。
押しの弱いタイプに感じられるからか相手さんがご自身の正解を提示してくるんですよ。


で、
いちいち反応したり対抗したりするのも面倒なので、求めてくる正解をこっちも差し上げるんですよ。

争うの面倒だし。

こういう言い方をしているから、当然 私にもそれなりの正解があるんですよ。
私にとっての正しさが。でも それは言わないんですけどね。

違和感あっても はいはい と聞いていればラクですもの。



批判されたくないから正しさに依存しがち ってのもあるけど、あとは批判できる立場に居られることで優越感も感じられるからねぇ。
間違ってることを指摘して、相手がその通りになったら気分が高揚するものね。
だから正しさの立場が欲しいよね。
正しさを追究した、善行が出来た って嬉しさも感じられるものね。


いいことしたら気分がいいよね。

自 分 に と っ て い い こ と を し た ら。





……っていう、批判がこわい からの→ 正しさ依存の快感 ってのがあるんよねぇ。

そのクセ、正しいことやって、褒められても「全然そんなことないよ」って、増長したら批判されるから謙遜してみたりね。
めんどくさいねぇ。


ま、なにかと批判されるのがこわいのよ私は。
批判 っていうか罵倒されたりして体が萎縮して動けなくなったり。

好きなようにやりゃあいいじゃん と言いながら、好きなように批判してくる人たちを受け入れることが怖くて、受け流すことが難しくて 正しさに安心を求めがち。



こうして正しさを求めるところが “ダメ” なところだなぁ って思うから、良くしなきゃいけない? ね?