どこかで自分を偽ってしまうと、嘘を正しくする為に嘘を上塗り重ねるように、
さらに造り上げた自分を強固なものにすべく、嘘の自分が大きくなっていく。
というもので。
正しく見せたり頭良く見せたり出来る人に見せたりしがちなんよね。
勿論、出来る “部分” もあるんだけど、ちょっと強がってしまう。
その、ちょっとの強がりをさらに強がってしまって、弱さを出すのが苦手になりがちで。
そんで弱さを出すのがイヤで強がる為に怒りで誤魔化して、強がりで強がったり。
…とか、まぁ、しんどいもので。
出来る “部分” にしても、やっぱり “部分” なので、
これの、ここ は出来ても、これの、それ は出来ない みたいなこともあって、
これまた説明したり伝えたりするのがめんどくさくなってなぁなぁにしたりしてさ。
大枠での実像の中に、虚実入り混じった部分があるのは誰しもあるかもしれないんだけど、“虚” の部分が膨らんできてしまうと どうにもねぇ。
等身大の自分どころか、まるっと “虚” になってしまうとそりゃ心も空虚になって感情も鈍るわな と。
正しさに判断基準みたいのがあると、正しさを守る為に必死になってしまうしさ。
立ち位置180度違えば、誰かにとってのしんどい部分だったりするし。
だからといって、
無理して出来る人になれなかったり、選択に迷うことで勝手に責めたりしなくていいもんな。