藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“【誰も心を】駄文 44【つくれない。奪えない。】”

[外部リンク] : 『機械に奪われない仕事ってなんだろう?』(Togetter)


まぁ、ぶっちゃけある程度奪ってもらって構わないんですけどね。(どーん)
これまでも何度か書いてきたかもですけど、技術が発展して人が不要になるのならそれでいいじゃないか。
ましてや日本はこれからどんどん労働人口減っていくワケですし。
効率と利便を追及し続けていって怠惰なのが人間そのものなんですから、どんどんその怠惰っぷりを発揮していけばいいと思うので。それで経済が回らないとかなっても別にいいじゃないですか。
もともと経済なんて思うように回したい人がいて、その人が回せたらそれでいい。経済格差なんてとうに起きてるんですから今さらそんな心配あぐねていてもしょうがないのです。

と、

いつも通り書いてきましたけど、さて表題。
Togetterの中にも書いてありましたけど、クサイ言葉ですけどやっぱ“愛”だと思いますよ。
最終的には人を求めるんですよ。きっと。


皮肉から話を始めさせて頂くとですね、たとえばレジを・接客をセルフにするなり完全機械化したとしてですね、クレームが発生した場合誰に文句を言うんだろうかと。
クレーム担当の機械さんとかいらっしゃるんでしょうか。
音声も機械が発達して、明らかに活字にするとカタカナで表記されるような喋りじゃあなくて、ミクさんみたいになったとしても、言葉に温度は感じるんでしょうかね。まして気が立ってるときに。

『誠意を示せ』ってなったときに、仮に“誠意”がお金であったとしても、それを機械認識で“誠意=お金”としてスムーズなやりとりをされたら気は鎮まるんでしょうか。
機械はどこまで対人に必要な“共感力”を瞬発的に発揮できるんでしょうか。

感情の機微というものを機械が柔軟に応じることが出来たら、そらある程度の人間は用済みになってしまうのかもしれませんが。


さて同じ視点でこれからの時代に必要な介護職にも機械にやって頂こう。
傍目で見る以上に体力を使う・腰に負担がかかる(入浴時などに体を持ち上げるとか)から、そりゃ機械にやってもらったほうが体力や体調を損なわずに済むでしょう。
関係の悪くなった年老いた親は機械だらけの特養に入れてしまえ、カネさえあれば人の面倒なんて見てくれるのだから? 仕事で忙しいんだからゴハンの準備するいとまも無い。
だったらカネさえ施設の口座に放り込んでしまえば、あとは働く時間とプライベートの時間だけ確保できれば十分さ。とか?
で、済むんでしょうかね。

急な体調悪化にもすぐアラームで知らせて他の担当ロボが管理。確実に業務を全うする介護する機械。
寂しくなったら手も握ろう。人口体温機能も付けて36度くらいを常に保てるようにバッテリーを装着させて。
握ってくれてたら握り返すことも出来る 感度の良さも。


……。

役 割 を 全 う し て さ え す れ ば い い 。なにが得意か、専門の力さえ装填させてしまえば意思などはなく、インプットされた情報を遂行し、また“人間”との関係の中で必要なものをオートでアップデートできるようにしておこう。物 覚 え の 悪 い 人 間 よ り か マ シ だ 。


会話が必要なの?
かまってほしいの?
じゃあそれを満たしたものを備え付けよう。
もともと言葉なんて虚無に消えてゆくもの。乱暴な言葉を用いて自己主張を繰り返してばかり。
もしかしたら粗雑な言葉を紡ぐそのアカウントはただのbotかもしれないね。
じゃあマジになっちゃいけないね。
仮に粗雑な言葉を使う当人が“人間”だとするならば、適度に炎上させて構ってあげよう。
そうして望む結果に向けて補完していけばいいのだから。



必要ならば友人を“購入”しよう。
必要ならば配偶者を“設け”よう。
いつまでも外注で人間の姿をしたものを仕入れれば済むだけの話。
いつでも外注で人間の役割を・ニーズを果たしてくれるものに出合えたらいいだけの話。

あぁ、でもそうだ、、、
血 液 は 創 れ な い ね 。もし人間が致命傷や病気に罹ったときに、血液を満たすための人間は必要だね。じゃあそのために、そのためだけに人間を管理しようか。
管理も機械にやってもらえたらいい。アウシュビッツのように“振り分け”て。

優生学思想など思いもせずにしていたことが優生学的行動を採る。







けど、
きっと人間に人間はつくれない。
血の通った人間は心ごと育てていくことでしか。
性行為によって受精し人をつくることは出来るかもしれないけど、それだけで人は育たない。
それだけで人は望む人にはならない。そもそも 望 む 人 を 求 め る こ と がどこか違うのだけど。

人間という外のものはただの“乗り物”、機械とも言える。けどその心や背景までは知らない。知ろうとしない。
この画面の向こうで、パソコンのディスプレイの向こうで、テレビの向こうで、ケータイの画面の向こうで、言葉を紡いでるのは人で。
誰を相手にしているかは“自分”がわかっているはずなのだから。


(長文失礼。)
(主旨逸れた?)