藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“【ふみふみこ】 : 『そらいろのカニ』読了。”

ふみふみこ 著、『そらいろのカニ』を読みました。


著者、三ヶ月連続刊行第二弾。

何度も何度も、出会いと別れを繰り返す「カイ」と「エビ」。
時代や姿形、性別が違っても 惹き寄せられてしまうのは運命か? それとも宿命か?
エロスの鬼才・ふみふみこが描く輪廻オムニバス。(単行本カバー裏、内容紹介より。)

帯に、『ウテナ』、『ピングドラム』でお馴染みの幾原邦彦監督のコメントがあるのですが、内容を要約するとまさにこの言葉に集約されるのでは。
『これは「傷つけあって、それでも一緒にいる自由」を得た僕たちの物語だ。』と。


人間は愛憎劇から逃れられないのだよ とでも言うような。
同じような運命を辿り、それを嗤い。“私はこうはならないよ”と思いながらも同じ結末を辿る。
マゾヒスティックな男。陵辱する女。
なんてバカな男。 そんなバカな男を虐げ、足や口で男のモノを弄ぶ。女もきっと自身でバカだと思うのだろうね。

第一話がそういった意味では分かりやすく。親父と同じものを望む息子を表してたり。
趣向が違う第二話と第四話は、種の起源や、天地創造を彷彿させるようなものでしょうか。(意味づけしすぎかしらね。(笑))

最終話がまとめとしての繋がりになってるんですけど、これ、『さきくさの咲く頃』と同様のようなものかな。
いずれまた巡り繰り返す というような。

最後に手を繋ぐのを求めて、それを拒否られて。じゃあ来世で とありましたけど、
『さきくさ〜』も最後に載ってた詩にあるように、
『無事でいたら また巡りあえるのだから』とあったので。
『そらカニ』で描かれていた“輪廻”も結局同じところに落ち着くのではないかと。
“同じところに落ち着く”という表現自体がどこか宿命じみてるのかもしれませんけどね。


絵について。
特に第三話でなのですが、手塚先生チックな画風に見えました。『どろろ』的な。
一方でこがわみさき先生みたいに細く簡素な絵で表現されてるようなのもあったりして。絵のほうでもちょっと楽しめましたね。


で、
作中に触れられていた、
カニの甲羅の柄が人の顔に見えると死ぬ』について、
ググってみたんですけど、『ヘイケガニ』のことになるんですかね?

[外部リンク] : 『ヘイケガニ』(Wikipedia)

あとがき見ると、ふみふみこさんは特にそこまで意図してらしたワケでは無いんでしょうけど。(笑)

『ヘイケガニの甲の模様は人間の怒りの表情に似る。』、『壇ノ浦の戦い(1185年)で敗れて海に散った平氏の無念をなぞらえ、「平氏の亡霊が乗り移った」という伝説が生まれた』(ウィキより抜粋)
……とあったので、感情が、憎悪がカニに移ると考えると、その亡霊の念を畏れて・恐れて死に至り、その運命を繰り返す。
……っていうふうにこじつけるコトも出来るんですけどね。(笑)
や、真意は定かではないんですけど。(苦笑)

『さきくさの咲く頃』に比べると読みにくいですが、こうして感想書いてみると昨日のより文章量が多いとゆー。(笑)

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(2012/12/24)
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