藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“怠惰だだだd”

メリーが10周年
ACIDMANが結成15周年、メジャー10周年
T.M.Revolutionが15周年
ムックが15周年
BUCK-TICKが25周年
ジョジョが25周年(荒木先生は30周年

…最近書いた感想の類のエントリでもこんな感じに続いてましたね。
よく続きますよね。

ACIDMANのDVDのドキュメントに大木さんが
「続けることを目的にしていても〜…」的なコトを言ってたような。

続けられる環境下がある人は勝手に続けていけるものですからね。
環境が与えられないとか、続けられる手段を失ってしまった っていうことがなければね。


まー、こういうアーティスト的なことなんてのもそうですけど、企業でもなんでも始まるともうそれは続けていこうとしますやね、大半。たまに名前を変えてね。
吸収・合併・改名を繰り返して“続けるために”残していこうとする。
政治もそうか。選挙のたびに鞍替えしたりとかねぇ。



別にもうどうだっていいじゃないですか。続かなくても。
続くものは勝手に続くんだから。無理して続けてもしょうがない。

働くこともそうですよ。
勤続年数が価値あるワケじゃないのに毎日働いて。
なにをそんな一生懸命はたらくのか。やる気ないのにやる気見せてるだけめんどくさい。

けど逆にやめる意味も無いワケで。
休むだけでやめるのもまた違うのですが。



端的に言うと 今 なにかと色々めんどくさいからこういうコト書いてるんですけどね。(笑)
もう毎日がかったるい。
全てがアホらしい。全てが“都合の要求”や“つまらないプライドの保守”とかで。
それをしてる他人に疑問を持つときもあれば、それをしてるんじゃないか って思う自分自身にも苛立ちを覚えますけど。
…って書くと、「なにをそんなネガティブな」という意見が飛んできそうですけど。 や、フツーですから。
批判的とか批難してるワケでもなく。漠然と「なーんか違うなー」っていうのを抱えたままなんですけどね。

自然に振る舞うことが目的になってしまって不自然になってるような。
(これはこの前の『100分 de 名著』でも言われてましたけど。)

なんだか色々“無理が見える”っていうかね。
イライラするコトもよくあるんだけど異見を言うのも無駄っていうか。「はいはい従順が至高なんでしょ」っていうね。その従順も他人に対してばかりで、ほんとうの個人レベルでの…自分自身の思考や感覚や感性に従順になればいいのにそれが出来ないんですよね。

人は元来怠ける生きモノですから。けどその怠惰を構築するために理想を作って・押し付けて、誰かの怠惰を補填すべく構築を現在進行で担ってる人は他人の多忙に殺されてるので。


そして自分の未熟や怠惰を自覚しないで、他人の怠惰を糾弾したり。
自分が多忙のときの他人の怠惰をいつまでも許せないまま怒り・憤りが絶えないものよね。

いつまでも続けばいいと思うのは第三者の勝手。いつまでも続けたいというのも当事者の都合。
いつまでもそれは折り合わない。




今回のエントリ、『続くこと』について書こうと思ってたんだけど、それと並行して タモさんの『やる気のある者は去れ』(←その流れで「いいとも30周年かよ」)とか思いながら書いてたら文章がこのように歪んでいきましたよ。と。