藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“勝手に文句言われるのはなんか腹立つけど、勝手に文句は言いたくなるもので。”

ことあるごとに、というか、あるときあるときに、
「こんの……グチグチ言いやがってコノヤロー(棒)」
と思ったりするものです。
とくに他人の言動を慮って動いてしまいがちな人にとっては。

つか、私が。


こっちには事情ってもんがあるんだよ。うっせーなー、とか思うのです。
でも、向こう様は、「なんでこっちの痒いとこに手を届けさせてくれねーんだよバーロー」
と。仰ってるのです。

(なにこの…眠い文章。。。)


誰だってそうですよねぇ。
自分の正当性から揺らがないワケですし。
建設的な回答なんて求めていないんです。

とりあえず、今・現在の不当な扱い(を受けていると自分では思ってること)に対しての不満をただ言いたい。
それだけなんですよ。誰もが。


ゴハンマダー? じゃないの!?
私、忙しいの!
もう! まったく自分のことばっか!


……どっちもな。(・ω・)

でも、言うほうは言うことによって、不満を発散したい。
けど、言われるほうは、こっちの事情も察してほしい。

文句ばっか言われるほうの身になってみろ っつーの!
私の所為じゃないんだよ!
(こう言ってるのも文句だしねぇ。)

…というような。
文句言われるほうが100%(全角表記w)正しくても、文句は言われる場合があるの。
理由はその…アレだ…なんでもいいんだけど…文句言う人が不満だから。



まぁ、なんて言うのか…、『欲望を満たすことが幸せであることなのか?』について前も書きましたけど、その満たす水準が、求めてる水準がどんどん高くなってるのはありますからね。

…そうであろうとなかろうと、文句は言うわな。
結局、個人の価値観基準での文句。なんだけど。


あぁ、あとは言い方の問題もあるわな。
「カレーにニンジン入れるな ってあれほど言ったろ!うんどぅるるるぁぁああ!!」
みたいな。
(今回のエントリ、ちょいちょいダルいな。)


さらに言うと、文句を言ってる自分自身も認めてほしいんだろうね。
たとえば、文句の対象がただの勘違いであったとしても…そこで「文句言ってゴメン」じゃなくて、「…ッ、けど、だって、そうだったんだよそんときはよぉぉお!!」
みたいな。


これはあれかい?
文句を色々言う人は、なにかにつけて承認欲求が強いのかしら。
なにかにつけて、自分を認めてほしい。
たとえ、事実や真実を歪曲させたとしても。(これは行き過ぎ感がありますが。)

でも逆に言うと、それだけ自己肯定感が強いということでしょう。…ちょっと言い方が荒いと、ナルシズムが強い っていうのか。


今回のエントリ。
別にどっちが悪いとか言ってるワケじゃなくて、誰もがそうなだけ。ただそれだけ、ってコトで。

あー、でも、クレーマーとかはちょっと気が引けますよね。
でも、これも承認欲求ですからね。
(内容があまりにひどいクレームは仕方ないというか。クレームの正当性が適ってる場合はまた別な話ですけどね。)


問題があるのは、その文句を言われることに対して、自我を脅かすであるとか、生命を脅かすとか そういうコトに繋がってしまう場合と、そういうコトを直結して連想してしまう場合がなかなか難しいこと っていうか。

というか私です。

過去に「ぶん殴るぞ!」と言われたことがある と書きましたけど、これがダイレクトに脅迫的行為ですよね。
で、
近しい文句を受けた場合、それ自体と過去の「殴るぞ!」と言われたことが直結して考えられてしまって、“文句を言われること=生命を脅かされること”という価値観を持ってしまうんですよ。

そうして“文句はいけないこと”という価値観が根付いて、どんな劣悪な状態で、正当な文句を言える環境であったとしても、閉口してしまうことがあったりする。

そしてこれが自己肯定を低くさせる要因になってしまうんですよね。





そしてもう一つ。一つの事柄に対して、そうは思って無くても文句を言わなければいけない空気に流されなければいけないようなものもある。同調圧力みたいなね。

ある一つの“不当”と称されるものに対して、別の角度から見たら(…主観は除いて)素晴らしく正当性に適ってたとしても、その“不当の価値”に乗っからなければいけないこともある。
…乗っかるのは ただの無知な場合と、あとは自分の生命の安全でしょうけどね。踏み絵的な。
(最近の外交問題に限らずですよ。)



とりあえず、文句の言い方だけはなんとかしてもらいたいものだなぁ、と思いますけどね。
高圧的な言い方によって、完全な正当性を封じられ、自閉し、自壊を招くものだけは考えなければいけないと思いますけどね。

なんでもかんでも文句言う人は、器が小さいと思われることもあったり。



そしてこのエントリも、文句に対する文句であったり。(苦笑)
こうしてまだ、自分の正当性を文句言えるなら、私のメンタルはまだ大丈夫そうです。(笑)