藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 28”

[外部リンク] ; 人や物と接する時は、それの良い点を探しだす癖をつけるといい。(ライフハックちゃんねる弐式)

作品のレビューとかやってるから っていうのもあるんだけど、なるべく良いことを書くというか…いい面に着目をしたいとゆーか。
何度か書いてるコトかもしれませんけど、結局 視点の問題というか、自分の根底の価値観に付随する解釈の仕方みたいなものじゃないでしょうか。

人でも、物でも。

嫌いな人は、何が嫌いなのか。
嫌いなら関心を持たなくてもいいのに、とも思ったり。
自分にとって、なにかしら都合が悪いからとかあるんでしょ? とか。

ところで、そういう、なんでもかんでも、人でも物でも文句つけたりする人は…文句を実際に言う(及び 書く。表出する。)それはそれで健康的な精神状態なんでしょうかね。

前にも書いたかもしれませんけど、思ったことをなんでも外にすぐ出せるという人はいますからね。

で、そういう文句を言うことがなかなかできずに、飲み込んで、澱のようなものが溜まって愚痴とかがネチネチと溜まってしまったり。

気に入らないことをあけすけに言うことと、それがストレートに言えなくて愚痴になっちゃう人といるけど、これも別に おおもとは同じじゃないかと。
まぁ 愚痴のほうが根っこが残ったりして 不健康なのかな。

ま、みなさん自己チューですからね。
自分の不遇を誰かの幸運と比べて嫉妬したり怒ったり。
自分の好みに合わないことをイヤだと言ったりするものですよ。

自己中同士がたまたま価値観の一致があるから、たまたま上手くいっってるか、誰かが仕方なく その“文句”を飲み込んでるだけですよ。


気に入らないなら関心を持たなければいいじゃないか。 と書きましたけど、それでも文句は言いたいものですからね。
パスカルの 自己愛と自己嫌悪の話や、
愛の反対は無関心と。あるように、
関心があるから、関心を持ってしまうから、関心を持たざるを得ないから、なにかしら言いたくなるんでしょうね。

文句を言うことには、その対象に“愛”があるんですよ。
あぁ、なんて博愛主義なのかしら。

なんというドメスティックバイオレンス。(笑)
愛があるから文句を言いたい。

アナタに愛があるから暴力を振りかざし続ける。

アナタを愛してるから、あなたが真人間に(意訳・都合のいい人間に)なるように私が更生してあげてるの。指摘して差し上げるの。

とでも?



歪んだ愛情。

(笑)



歪んだ愛情を 振りかざすほうは、自身の愛情(表現)に絶大な価値を置く。
それを ただただ ぶつけられたほうは、心が鬱屈し、屈折していく。

歪んでいく。
そしてまた誰かを歪ませたり。 歪んだまま折れて(察しますよね
?)しまったり。



誰もが歪んでいる。
善悪を問わず。
ただ それだけ。

自戒を込めて。