藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 25”

[外部リンク] : 『困ってる若者”がブラック企業に負けず「幸福」になる方法〜古市憲寿×大野更紗×川村遼平―「若者」三者鼎談前編―〜』(BLOGOS)


相変わらず、『うつ』だと言っていると『甘え』だと糾弾されるからなかなか正直に自分の辛さを話せないような人がいたりするワケで。いや、だから人の背景にはそれまでの生活環境や家族や経験などの経緯があるから一概になんでも近視眼的に断罪することなんてできないんですよとこれまでもさんざん書いてまいりましたが。

そんなワケで最近話題の若手論客による(誰かが言ってたけど論客ってなんぞ?)若者の仕事談義です。
すいませんが、川村さんだけ存じ上げませんでした。
『困ってるひと』で一躍有名になった(?)大野さんと、『絶望の国の幸福な若者たち』で一躍有名になった(テレビでも露出されてますし。)古市さんは各所でその発言をお見かけしますが。


法律的なことに関しては、私自身かなり知らないことが多かったので、川村さんによる、なにかその道に詳しい人に聞くなりして対策を講じることは可能かとは思いますが。


で、
後編での大野さんによる『働きすぎです』というご発言。
古市さんが6時間半しか働いてないのに 疲れた とかナニソレうらやましい。w とも思ったけど、なによりモーレツサラリーマンと称するように、どれだけ会社に従事したか、どれだけしんどい思いをしたか っていうことが一種のステータスになってることから未だに脱却できてないんですね。


石原さんや猪瀬さんに、じゃあアンタは20歳のときになにしてた? って訊いてみたら? っていうのがありましたけど、これねぇ……、
私、60歳くらいの知り合いの人に、「このまま地道にがんばれよ」とか、「大きいとこで社員としてやってけば大丈夫やから」とか実際 言われたりしてね。いや、これ結局さ、上にも書いたけど、結局いろんなバックグラウンドが各個人にはあるんだけど、結局、自分の生きてきた価値観を肯定するような発言しかしないワケですよ。
自分の正当性のために他者の正当性をなくしたがるように。…ダブルスタンダードが存在する っていうことも厄介ではあるんだけど、そこの容認も難儀なのかしらね。

『うつは甘え』だなんて言う人とそれは同じようなロジックで、
誰か他人が窮屈そうに生きてるときに 当人への生き方に対するアドバイスなんて てんで役に立たないんです。

それは社会がどうであろうとか、ポジティブ思考がどうだとか、私ならこうする なんていう自慢じみた成功例。

人は他人が重篤な病気にかかっていようとも、自分が足の小指をタンスの角にぶつけたコトのほうが重要なんですから。

だから電車の人身事故で「くっそ電車また遅れるし」とかっていうのはまさにそれに繋がること。
ツイッターHOTワードでよく人身事故が上がってるのを見るけど、ホント多いよね…。)



それよりも能動的で可能な整理方法を得るほうがまだマシというか。
だから今回の元記事では川村さんによる発言がかなり多くの助けになると思う。それは色々知らないサポートを知ることで、自分の環境を助けることができるかもしれないという手段を得ることができるから。
目標を見失って、手段に振り回されずに、手段を増やせることは面白いとも思うし。



ところで、こちら↓

[外部リンク]:『若者が自殺するのは当たり前』(2010年から見た日本)

大体収入は15万円で。これからどうしたものかと、結婚もローンも組めない。
と、ありましたけど。
(そんで若者の○○離れ とか言って消費減退なのは若者なのねと。はいはいいつも若者が悪いのね。と。w)

どこかに書いてあったけど、もはやそういう『普通の生活モデル』が合わなくなってきてるだけでしょう?
価値観が時代とともに変わり続けるのに、若者は安い給料で昇給なしとかやってるんだからローンを組むような高い買い物は(車とか家とか)できなくなっていくでしょうし。
義務教育プラス高校で何千万とかかかるようなら子どもも望めない。
のなら、
別にいーじゃん って思うんですけどね。
求めなくても。


で、
元記事のBLOGOSの3者対談にて、労働時間を減らすことについてありましたけど、


給料が安い というコトは代えがきくから安く使えるワケですよね。
だから社長職・経営になってくると、その会社を動かすのはその人でなければならない ってコトで給料が大きい。
で、今は別に会社は人を育てないと。派遣とかで即戦力あればいいということだし。

そして別視点。
トップが無能でも周りが支えていれば、トップはお山の大将的に祭り上げておいて、必死で周りが動く場合もある。
また、どうしても経営など勉学的な面で知識が・キャパシティが限界で経営の立場にどうしてもなれないような人もいるし。そういう人は安い時給がゆえにたくさんの時間を捻出して仕事にあてて、過労死してでもお金と時間を使って生活のために・家族のために働いたりして。
特別なスキルが無い、無個性な人はただただ一心に時間給労働してお金を稼いだり。

や、っていうかそもそも誰もが成長しなくてはいけないのか?ってのもある。
それこそ『若いときの苦労は買ってでもしろ』と言うように。ゆくゆくは時間にゆとりを持つために今は会社に忙殺されようとも努力を重ねると。


人って成長できるの?
それはだから技術的な面なのか、心の面なのか?
技術も心も、根本の、人・個人によってそれぞれ異なるから成長ペースも結果の目算も異なるけれど、なにを成長したと判断するのか。そして他人と比べてまだまだと言うのか。

まだまだこの状態は幸福では無いと?

3者対談で古市さんの『甘えという方が甘え』という発言で結んでおられましたが、(この前にあった古市さんの発言にあるように)本来たしかに社会というのはごった煮の人で埋め尽くされてるワケですからね。

それがお互い影響し合うことと、比較や世代格差の論理で批難するのはあまりに簡単。
オリジナルの手段を使って生きていけばいいと思うのですよ。

追記。

[外部リンク] : 『鬱を治すための10ステップを淡々とあげていきます』(ライフハックちゃんねる弐式)

本スレは結構いいコトが抽出されてたと思う。
米欄はやっぱちょっと荒れてたけどマシだったので。まぁアリかと。

米欄にも出てたけど、治療なんて各個人によって違うのは当然。なにより症例が違うんだから。
ただ本スレの>>1の人はそれで改善がみられたというコトで、近しい症状の人にはなにかしら効果があるかもしれないね。っていう。だから完全否定はできないですから。

昨日のクローズアップ現代で、向精神薬による副作用についてもありましたけど……これ子ども向けに関しては親がなんとか判断しないとなんともならないのかしら……。

私ゃ先日ちょっとコーチングについてかじってきたんですけど、上記リンクに上げてあったように結局は個人の意思の力で解決策を見出していくのがベストなんですよ。
一緒に治していこう って導いていくのがね。…導くっていうか、引き出すっていうか。
特に大人自身に関しては、インスタント的な解決策を躍起に求めるんじゃなくて、じっくり見ていくことが大切だと思うんですよ。
で、合わなかったら色々違うのも試してみるとかね。

子どもに関しては親が寛容に見ていくのと、なるべく薬とかは飲ませるべきじゃないと思うし。もっと長期的な視野でね。
適切な環境に導く っていうのが重要なのかしらね。