藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“完璧の欲求。完璧の要求。”

前の前の前のエントリにも書いたように、人格が破綻してる人はタヒねばいいと思ってるくらいで。

なんでアイツあんなクソなのになにをふんぞり返ってるんだ!? っていう。
(どうでもいいけど文体が荒くなったな。w)

と、思ったりするクセに、こうして暴言じみた表現で書いてる私が人格者かというとそんなワケ無ぇのは一目瞭然で。結局それは、自分が気になることをしてるヤツがたまたま気に入らないだけ でもある。

『価値観がアテにならない』にも書いたし、『怒るということ』にも書いたことだけど、結局そんな他人の価値観やカテゴライズされることがイヤなだけでもある。
そう、私の気になる点については、真っ当を全うしてほしいと願ってしまうのです。

完璧を願ってしまうのです。
…但し、あくまで“私の”気になる点が注視されるのでしょうが。


価値観の話になるのだけど、これまで親の言うこと、先生の言うこと、上司の言うことを聞いて、それが正しいとしてそれを守ってきて。守らなければ怒られたりして。
守ることに意義があるのではなく、怒られるのがイヤだから守ってきたから。 だから価値観というのは非常に不安定で。




ウソを上手につくのが大人。約束を破るのが大人。犯罪は見つからなければいい。国益の伴う犯罪なら経度に免れる。
倫理や道徳はアテにならない。
けどそれを良しとする。






思えば私は子どもの頃から完璧主義だったような気がするもので、『廊下は走らない』っていうなら、それも許せなかったもので。いやー思い起こせばどーでもいーものですが。w

一方でフツーに休みのときに外を歩いてると、警察官の方々が集団で横断歩道のない道路を横切っていくのを見たりとか。(この場合、轢○○てタヒんだらどうなってたんだろうね。(苦笑))(←伏せ字意味無ぇし、『轢く』って一発で出たし。w)


ま、なにより言うだけの言って、それを守らない ってのが嫌いっていうのもあるのですが。
口先だけで、言うこと言って怒るクセに、オマエはそれを守らないわ、下らないところでこだわりを見せるわ。

(あ、なんか愚痴っぽくなってきたな。)


で、
まぁ、何かの物事に於いて、“出来てない自分”が許せないのがある。
それは他人が課した価値観も、自分が課した価値観も。
“フツーの人が要領よくこなせるコトをなんで私は出来ないんだ。”って自責の念にかられたり。

一方で、“フツーの人は出来るのに、それが出来ないのに 周りから許されてる人”を見るのが許せないこともある。
上記の愚痴っぽいのとかね。


ま、仕事に関しては絶対的に完璧を求められるものもありますけどね。医療とか住居・食品関係は。衣・食・住の命に直接関わる(可能性のある)ものはね。
(“犯罪に抵触するおそれのあるもの”も完璧に通じるかもしれませんが(経理関係のものとかry)、テレビとか見てるとなんとも言えない報道を目にしますので、ここでは考えるのを省きます。)


けどそんな、『怒られるのがイヤだから』ということが動力源の仕事の姿勢だと、完璧が絶対要求される仕事なんて私には無理でございます。


で、じゃあ 今までの行動の源は、『怒られるのがイヤだから』完璧を目指してたのか。と。
テストで規定の点を取ることとか。なにか美術・工作をつくるときも点数の取れるもの・教師が良いというものを作るのか。面接でウケのいいこと言えればいいのか。

完璧な人生とは何か。

人の求められる結果を生み出し、
たくさんのお金を得ることができて、
メタボ・中肉中背は論外? 完璧な肉体を持っていて、
そしてちょっと不幸な出来事があってもそれを前向きに切り替えて歩んでいける。



どこの完璧超人だよ。
私みたいなミートくんはもぉバラバラね。



いったい誰のためのなんのための完璧なのか。
それ もはや、こだわりをこじらせただけじゃないか。


殺人など、明らかに迷惑をかける行為はさておき。(迷惑どころでは無いが。)

場を弁えない迷惑行為もよくないけど。なにかしら気にしすぎじゃないか っていうのはある。



強迫観念に迫られて…『怒られないように』完璧にしているとか、
トラウマじみたコンプレックスを抱えてるか、そんなんですよ。
(私は両方だお☆)(←↑っていうかこの2つ繋がってるしな。)

なにより自分が許せてない。
学校や仕事で求められるようなコトに、完璧を求めて、自分の人生レベルでもなにか完璧でなきゃいけないんじゃないか、っていう劣等感みたいなもの。
それに振り回されてるがゆえに、どこか破滅型思考で、とっとと死ねたらいいのに と、『完璧な人生で無いなら死んだほうがいい』と。

もっと、対・他人に、不完全な自分でいられたら。