昨日のエントリを書いたあとで今日こんなんですけど、
さっき、D・カーネギーの『人を動かす』のオーディオブックを流してて、この一節が。
――――――――――――――――――――――――――――――
「そうです、一生からだが不自由になったとわかると、子どもたちは、最初ひどいショックを受けますが、そのうちに、ショックがうすれて、大抵は自分の運命をあきらめ、ついには、普通の子どもたちよりもかえって快活になります。」(P.101)
――――――――――――――――――――――――――――――
…が、耳に入ってきたのが気になったので、なんか昨日のエントリと繋がる気がしたのでここに留めておきます。
この章は、アランの幸福論にもある、『楽観主義は意志によるもの』に通じる、笑顔であることが幸福である、というような。仮に、笑顔など見せる気にならない状況でも。
また、あきらめが云々〜…とある、これはどこか仏教的で。
受け容れること、事実や過去に執着しないことに繋がるのでしょうかね。
さて、昨日のエントリにおいての精神疾患。これをどこまでの範囲で捉えるべきか此処では非常に申し上げにくいところであると思いますが、
少なくとも、意志が意識が明瞭である限り、思考が閉じた方向へと至ることなく、今を受け容れ肯定すれば うつなど塞ぎ込むことなく、快活に生きていけるのかもしれませんね。
(そんなの難儀だよ というのはまぁ、勿論承知なのですけどね。。。)