藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『FILE166:「古武術でカラダ革命」』を見た。”

2011.11.10.O.A. (2011.11.14.夜中再放送)

爆問学問 FILE166:「古武術でカラダ革命」 を見ました。

甲野善紀(こうのよしのり)
 古武術。2007-10年神戸女学院大学客員教授

以下、番組HPから対談内容をコピペ。↓

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甲野:「今一番私が憂えているのは、大げさに言えば人類何千年の歴史で初めて、「伝承」が途絶えたんですね。
伝承と言うのはつまり、モノを縛ったり担いだりするっていうのは、子どもはみんな、昔は器用な大人がいっぱいいましたから、自然に覚えたんです。でも今はみんな機械がやるじゃないですか。」

太田:「マニュアルから覚えているんじゃなくて、生活の中で自然と会得しているっていう・・・」
田中:「言葉を覚えるように(体の使い方を)覚えた。」

甲野:「今、ウェイトトレーニングなどは、負荷を掛けて、なるべくそこの筋肉を強くしようとする。つまり重いものを重く感じて筋肉を付けるじゃないですか。ところが、昔は重いものをなるべく軽く感じられるように、全身をうまく使おうとしていた。」
太田:「目的が違うんだね。筋肉をつけようという目的と。運ぶのに楽になったほうがいいという目的と。」

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連続して爆問学問の記事をまとめてるから尚更なんですが、基本的に太田さんが『既存の解体』とか、『学習によって失ってしまったもの』とか、一貫してそのようなことを、各回の先生にぶつけておられるなぁ、という印象。

で、
科学で言うような順列・直結で身体を語ることは出来ない、並列によって構成されている、というのも、ポイントなのかしら。
全てが科学なり、理屈で理路整然としてないと成立しないもの …というワケでは無い。というか。
科学や理屈で、自然のもの・本来の人間の肉体の構成というものを語りきることは出来ない。というか。

以前、『科学技術の発達と、人間の発達は異なる』というのをどこかで見た気がしますが。
扱ってるもの(パソコンというか、さまざまな機械。)が発達して便利に使いこなせる・今まで出来なかったことが出来るよう(な気分)になってくると、それを操ってる自分自身も発達・進化したような気になってしまう。
…けど、そんなことはない。

むしろそれによって、出来ることの やり方 が決まってきてしまって、いざ不測の事態が起きたときに対処できなかったり、本来できるコトの可能性を失ってしまったり。
機械(マニュアル)ごしの全能感があっても、マニュアルを取っ払ったらただのフツーの人間が露出されるだけ。
そのフツーの人間が、如何に素の状態で柔軟に在ることができるのか。

……なーんてコトを思いました。


甲野先生の発言で気になったのは、まさにHPの対談内容にもあった、
『昔は重いものをなるべく軽く感じられるように、全身をうまく使おうとしていた』
ってところ。
…というか、なんで鍛える ってなると、 負荷を与えるほうにいくんだろうね。
吉田秀彦さんが、試合前のメンタルについてとか、『これだけ練習したから…』というようなコトを仰られてましたが、某・野球選手みたいに、筋力の過多によって、体重増加や、敏捷性の低下など、 体に無理をさせていることになるのかな。
…なんていうか、根性論とかも相俟って、無茶に心身を使ってることになるんでしょうか。

今回、甲野先生のを見て、もっと大切な体の作り方、動かし方があるんじゃないかと思わされました。


やー、しかし、面白かった。
押さえられてる状態で、背負うように押さえてる相手の体ごと持ち上げるとか。
あと手の指のカタチ あれ どうなってるんだろう。
やってみたいな。