藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“【アルボムッレ・スマナサーラ】 : 『「やさしい」って、どういうこと?』読了。”

アルボムッレ・スマナサーラ 著、『「やさしい」って、どういうこと?』を読みました。

端的に、本書で疑問に上げられている、“やさしい”の意味は、これまでスマナサーラ師の本を読んできたコトや、私がこれまで思い抱えていたコトに繋がり、

『“やさしい”は、自分にとって都合の良いものかどうか。』

そう、
単純に“利害”のような。欲しい都合を適えてくれる人が“やさしい”と。
また さらに 加えて、『群れる』という行為による、“やさしさ”の共有と、その集団以外への排他的な行為。
そして“やさしさ”に見返りを求めたりとか。

もう一つ、スマナサーラ師が『生かされている』という言葉に反対している、というコトも気になったところ。
私自身、『生かされている』という言葉自体が どうか っていうよりか、その言葉が脅迫しているような言葉に思えていたんです。
(別のところには書きましたけど。)
『生かしといてやる』みたいなさ。(スマナサーラ師の言うことと同じコトか。)

少しズレますが、本書にあった、“必要”と“欲しい”の違いで、
これも刺激が促進された結果なんじゃないでしょうか。
欲望の対象となるもの…娯楽やジャンクフードなど(e.t.c...)、刺激促進と経済活性のためで、別に本来人間にはあっても無くても、どっちでもいいものなんですよねぇ。
(…とは言いつつ私自身そんな欲望に囚われておりますが…。)

で、
“やさしさ”は、結局自我の問題で。
『生命が成立する』コトを基準に自然な考えで在れば良い というコトなんですけどね……。

その、自然の流れによる、自分の役割であるとか、自分の本分というもの、それが分からないと思うんですよ。
『どうして私が?』っていう観点にも触れられていましたが、“役割”が過度な負担になってると思うんですよ。…どこの企業にもおける問題だと思いますが、仕事が出来る人が偏ってる …っていうんですかねぇ。『仕事をしなくてはいけない』と強迫観念的に与えられている人が多い…っていうか。
(本書でもそのリムジンのドアを開けるのにわざわざ…ってコトとかね。)

肯定的な・うなずける点では、やはり、夫婦の役割とかに書かれていたことですけどね。ゴハンの支度と、子どもの面倒をちゃんと理解して行うっていうね。これは賛成ですけど。

…こういうコトがね、たぶん “やさしさ”についての基本なトコなんだと思いますよ。
とてもシンプルなところでね。



どうしても過度になってるんですよ。
“やさしさ”を求めすぎるように、欲望や必要の在り方がね。

…ちなみに先日のニーチェの番組では、『自分の欲望に正直に』というのが結論的なものとしてあったんだけど、これも求めるもののバランスの問題なのでしょうかねぇ…。。。

「やさしい」って、どういうこと? Book 「やさしい」って、どういうこと?

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:宝島社
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