藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“【アルボムッレ・スマナサーラ 】 : 『心は病気』 読了。”

アルボムッレ・スマナサーラ 著、『心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉 (サンガ新書)』を読みました。


前提として、医学の分野で治せることと、仏教の分野・お釈迦様の智慧で治せることがある というか、先に香山リカさんとの共著、『生きる勉強』を読んでいたので、そこは まぁ、ともかくとして。“からだ”を治すことは医学の役目っていう。


そして“心は偉大でありながら、すごく弱くて徹底的に守らなくてはいけないもの”で、“心は智慧のない大バカ者”であると。(P.23-24)


“心は絶対的な支配者”というのはまさに。
心が正しいということは絶対で、“私の”心は正しい。自我に囚われている。

“「人間が生きる」ということは、「好きなものを得るために行動する」「得られないものや邪魔するものは全部壊す」のいずれかです。この2つのエネルギーに支配されているのです。〜(P.33 より)”
これのどちらもが問題であると。


結局のところ、『私は正しい』、『私は正義だ』、『私は善意に基づいて行動している』とか、その全てが正しくて、 問題で。国家間の戦争や個人の諍い全てに共通するんじゃないでしょうか。
後半のお悩み相談の章のところであったような、“誰もが他人に迷惑をかけている”っていうのとかね。
“結局、誰もが自分のことしか考えられないのだ。”(P.144)
というね。




で、『希望通りに適わないことを知る』と、『柔軟性を持つことが大切』というコトなのでしょうけど、そうはいってもなかなか厳しいコトを本書では挙げられていて、

“自殺する社長のバカバカしさ”(P.68)とかね。
なんていうか社会的な成功が人格者的に捉えられて、その成功の裏に幾ばくかの『たまたま』があったとしても、失敗を許さない・許せない・許したくない -という背景がある限り、『“私が”失敗なんてするハズがない』と、責めて責めて苦しんでしまうんですよね。
こはちょっと辛いことなんだよね。無常だと分かっててもさ。
で、『仕事が出来る人』と称される人は“たまたま”その分野で自身の立ち位置がたまたま適っただけのことなのに、偉ぶってしまったりね。

…あぁ、これが先に書いた「人間が生きる」2つのエネルギーの方向性なのね。



もう一つ重かったのが、“仏教のエピソードから心のケアを学ぶ”ってところの2つ目の話で。
箱入り娘で、実家の家族や夫に依存していた女性の話。全てを失って狂ってしまった上でたどり着いたお釈迦様からの言葉とやらが、
“「この世の中で何も頼るものはない。誰も頼りにならないんだよ〜(以下略)」”(P.114)

このエピソードの端々に書かれてありましたが、“日本では地震も多いですし、火事で一切を失くすこともあるでしょう”と。神戸の震災のコトまでも挙げられて書かれていましたが、

…ちょっとこれは難易度高いです。まさに今の日本の、東日本大震災が起きたあとの日本の状態には。

何も思い通りにならない。自然現象によってさまざまなものを、家族や友人を、家を失くしてしまったとしても、自分は自分として律して生きていかなくてはいけない。
『世の中は思い通りにならないことがある』ということを、此処まで教えて、心を育てて、教育しないと…というのはすごい究極のところですよ……。



日本の社会的な視点でも、『思い通りにならなかったから殺す(暴力的な行為を人や物に行う。外向きの。)』『思い通りにならないので自殺する(内向きの。)』というような、破壊的衝動に駆られてしまう人や状況がある限り、家族や地域、政治の役割として“人”を教育する必要があるんでしょうね。

先ずは今の状態をありのままただ受け止めることから。

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著者:アルボムッレ スマナサーラ
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