【まず前提(!)に「失敗するもの」がある。だから、打席に立ってその失敗に向かっていくわけだ。くり返し練習してきたことがうまくはまれば、「失敗するもの」という名の「当然の木」から、「ヒット」という果実を奪い取ることができる。】糸井重里・今日のダーリン4月4日 https://t.co/ZyqPfIc4UV
— ほぼ日(4月17日〜21日は丸の内で「生活のたのしみ展」) (@1101complus) April 4, 2019
「持っている力をじゅうぶんに発揮する方法」
— しいたけ. (@shiitake7919) April 4, 2019
クラクラした。すごい。
「上手くいかなきゃいけない」を手放せるってすごいなぁ。
「失敗しちゃいけない」の前提を崩さないと、あんまり動けなくなるのかな。 https://t.co/eQnTbbFN8K
これなー。
望んでることは一応あるからそれを捉えにいこうとはするけど、求めようとする意識が強いと手に入らない落胆があってそこで凹むのよ。
でも望んでる姿勢はしっかり貫いていくんだよな。
ヒットを打つことに目的の照準を合わせるというよりか、ピッチャーが投げるボールに当てるということにのみ意識を注ぐ っていうことなんでしょうかね。
「落語をおもしろくするには、おもしろくしねぇことだ」も、ね。
だからって「どうせうまくいかない」ってつもりでやっていくのが正しいのかは分からないんだけどさ。
ポケモンgoやってて、5玉のレイドに毎度挑戦にいって、ゲットすることに意識を前のめりにいき過ぎるとゲット出来なくて、「ま、無理でもいいや」って思いながらモンスターボール投げるとゲット出来るみたいな感じかな。
「無理でもいいや」とは思いながらも、丁寧に投げるけど。
で、機会があれば何度でも同じように挑戦し続けてみる。みたいな。
希望があるにはあるから そこへ向けた想いの言動は重ねてみるけど、結果にいちいち落胆せずに挑み続ける。…いや、まぁ、落胆もするけどさ。落胆したけど。あまりに失敗がすごく続くと落ち込むけど。
自分の望むことの為に繰り返し続けながらも、結果や、肯定的な反応も求めてしまいがちだけど、それだけを求めることに執着せずに機会があれば向かい続けること。かなぁ。