一応、『無』を冠している私なので、哲学的に? っていうか、ウィキ程度ではあるけど、『無』について調べたりとかしたんですよ。
っていうか、もともとこの名前を名乗るときに『無』を使い始めた理由は、“否定” のつもりだったんですよ。
ja.wikipedia.org
在る(有る)ものを否定するつもりで。
あらゆるものはクソだ。
なんの意味も無い。価値も無い。
全てを無に帰させてやる。
みたいなつもりだったんですよ。
(うわぁ… イタい……。)
で、
ウィキにあるように、
ja.wikipedia.org
これも読んだんですけど、これも読んだ上で、
あるときに、ACIDMANの『FREAK OUT』を聞いて、
“YESはNOに 有は無に”
って歌詞を見て、
あくまで私の中で、って話なんだけど、
“全ての有は無に、無は有に”
っていう併存関係なのかな って思って。
無いことがここに確かであることをどう証明するのか。
(形而上学の話かしらね。意味を立証させる為に、無いというカタチを採っている。みたいな。観念主義。)
で、
熟語として『無』を “否定、打ち消し” として使ったときに、『無』があることによって、『有』を表すよなぁ っていう。
普通のことですけど。
『限り』だと、『有限』っていう限られた狭いものが『無』を付けて『無限』っていう可能性を表すものになるし。
(わざわざ書くようなコトでもないんだけど。。。)
“無い” を 表 す こ と って難しいなぁ って思いますね。
↑ の、下の方に関連語で、『一方』ってのがあるんだけど、『一つの方向』なんだよね。“ある一つの側面” っていう。
ちょっと病んでくると、
「私には何も無いなー」
とボヤくけど。
まぁ ボヤきますよ。しょうがないよね。疲れてたりするとね。
何も無い って言いたくなります。
言わせてくださいよ。何も無い って。
今は割と落ち着いてるから、実際に無いことを証明できるのかな?
ってこうして考えてるんですけど、『無』の証明 って難しいなー って思いました。
(中二病こじらせたみたいな駄文になったな これ……。)
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(っていうか、『無』と『0(ゼロ)』もまた違う気がするけど、今回は疲れたからもうやめとく。)