藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“無。 #2”

一応、『無』を冠している私なので、哲学的に? っていうか、ウィキ程度ではあるけど、『無』について調べたりとかしたんですよ。

っていうか、もともとこの名前を名乗るときに『無』を使い始めた理由は、“否定” のつもりだったんですよ。

ja.wikipedia.org
在る(有る)ものを否定するつもりで。
あらゆるものはクソだ。
なんの意味も無い。価値も無い。
全てを無に帰させてやる。

みたいなつもりだったんですよ。
(うわぁ… イタい……。)


で、
ウィキにあるように、

ja.wikipedia.org
これも読んだんですけど、これも読んだ上で、
あるときに、ACIDMANの『FREAK OUT』を聞いて、

 

www.youtube.com

“YESはNOに 有は無に”

って歌詞を見て、

あくまで私の中で、って話なんだけど、

“全ての有は無に、無は有に”

っていう併存関係なのかな って思って。

無いことがここに確かであることをどう証明するのか。

形而上学の話かしらね。意味を立証させる為に、無いというカタチを採っている。みたいな。観念主義。)

okmusic.jp


で、

熟語として『無』を “否定、打ち消し” として使ったときに、『無』があることによって、『有』を表すよなぁ っていう。

普通のことですけど。


『限り』だと、『有限』っていう限られた狭いものが『無』を付けて『無限』っていう可能性を表すものになるし。

(わざわざ書くようなコトでもないんだけど。。。)

 

ja.wiktionary.org

“無い” を 表 す こ と って難しいなぁ って思いますね。


kotobank.jp

↑ の、下の方に関連語で、『一方』ってのがあるんだけど、『一つの方向』なんだよね。“ある一つの側面” っていう。




ちょっと病んでくると、
「私には何も無いなー」
とボヤくけど。

まぁ ボヤきますよ。しょうがないよね。疲れてたりするとね。
何も無い って言いたくなります。
言わせてくださいよ。何も無い って。



今は割と落ち着いてるから、実際に無いことを証明できるのかな?
ってこうして考えてるんですけど、『無』の証明 って難しいなー って思いました。


中二病こじらせたみたいな駄文になったな これ……。)



www.newtonpress.co.jp


(っていうか、『無』と『0(ゼロ)』もまた違う気がするけど、今回は疲れたからもうやめとく。)