藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“心数”

量子テレポーテーション 名 前 上田 太郎 助言教員 玉木 潔 提出年度 平成 29 年度

b.hatena.ne.jp

 

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面白かったし興味深いし、まぁそんなに科学的なこと私ゃ詳しくないんだけどさ、漫画本編中にメールによって知らせるってあったけど、まさにメールじゃあないんだから、文字情報や画像データ転送してるんじゃあるまいし と。

これ人間本人のテレポートじゃあなくて、物質の瞬間移動とかの方が安全だよなー とか思ったりしましたが。

はてブコメント読んでて「どこでもドアやん」っての見たのでググってみたんだけど、

 

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…まぁ、もとの人間はなくなることになるよね…。

ただこれからロボットなりAIなりが発達してくると、人間自体は出来ないにしても、その役割を担った存在自体は創ってテレポート出来るんだろね。

 

スワンプマンの思考実験ってのも読んだんだけどさ。

 

ツイッターで桜のクローンのこと書いたことも、同じものが存在しているのなら、そこから受ける他者の反応は同じじゃないか っていう。

結局本人の・消滅してしまった元の・テレポート元の、……意思とか意識とか自我みたいなものは、他人にとっては確認しようもないもので。脳によって決められた行動パターンとかも決まっているなら(AIでも会話コミュニケーションのチャートとかもパターン組めそうだし)、それは他人にとっては確認しようもないものだなと。

喜怒哀楽を表現すること自体も、この反応がきたら笑ってみよう、怒ってみよう、たまには泣いてみようなどと、感情起因ではなかったとしても、他人の表情情報から勝手に読み取ってそれに対する反応を自動的にプログラミングされて、円滑に『正解』へと辿り着くことも、人間ではなくても可能なんだろうな って。…哲学的ゾンビだなって。

 

 

 

……って考えることも出来るっつーか過剰に邪推することも出来てしまうから、一応、当方、人間と致しましては穿った見方などというのも出来てしまうのですが、これ自体が実に不毛で、そもそも他人の意識や意思やら所謂『心』などというものは、主観の私から他人のあなたを分かるコトなど出来ないもので。

理解したいと思うようにしか理解しないもので。信じてるものしか見ようとしないもので。

外部反応の積み重ねで、性格や情緒が備わっていくにしても、ベースとなるスペックが人によって容量が異なったりするから処理速度も異なってくる。

他人に自分を見出すような自己投影にも。

他者認識の差異から自己が正しくありのままに見えましょうか。見えますまいか。