藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“2018.03.27.”

まぁ何も考えないでブログ書くんですけど、何も考えてないワケもなくてなにかしら考えてはいると思うんですよ。頭の中をまっさらになんて出来ないんですよ。雑念だらけですからね。

一応の配慮めいたものを考えつつね。配慮っつーか、これは書いていいことなんだろうか っていう、自然に出てくる言葉を出し分けているような感じですかね。口を開けて食べ物を入れるか空気を吸うか、自然に食道と気道に分かれるように。

 

たまに気道に入ってむせるコトもありますもので。それが言葉を取捨選択してきた上で引っかかるようなもので。

 

いやさ、私いろんなネタで書いてるやんか、描いてるときもあるし。

ツイッターでサブ垢で分けてる人がいるみたいだけど人様は多面的なものやから色んな面あるものをわざわざ1個だけで見せていくってどうやって使い分けするのかなとか、ま、それなりに思うもので。

ロムってる側としては…見てるほうとしては、このアカの人はこれ系の話題に強い人だから、その意図でその人をフォローしてるみたいにしてるけどさ。

 

見てご覧なさいよこのブログの右柱のカテゴリw この殺伐具合w

誰がどの意図でこのブログに来てんだかさっぱり分かんねぇよw

 

しかも私自身がブログとツイッターとpixivとでどう書いてること描いてることを分けてるか ってのもよく分かってない。同じこと書いてることも結構あるし。

勿論分けて表現してることもあるし。pixivでしかエログロは出しにくいしさ。

心理の話やら宇宙の話やらヲタの話やら。

ごっちゃごちゃですよ。

年齢性別もよく分からない感じで書いてみたりするしw(おっさんですよ?)

 

誰がどんな人かってコトを知るにしたって多層情報で得ても結局受け手側がどう判断するかしかないから書いてるこっちが如何様に脚色してようとしてまいと関係ないんすけどね。

 

偽悪的に露悪的にわざわざ “常識的” に外れたことをわざわざ見せる必要もないし、かといってそれをわざわざ見せて、「こんな私でも好きでいてくれるの?」と試す必要も無いもので。

かといって自然にやった善行を「いい人だと思われたらどうしよう」などと変に畏縮してしまったりだとか。

 

事実を表出するのにフィルターがかかるのなんて普通なんだけど、その意思を勝手に解釈しだしたら事実の認知なんて最初っから歪んでしまって。

疑いだしたらキリがなくていつまでも “問題” を勝手に見出してあぶり出し続けてしまう。

 

媒体や情報がいくら転がってても選ぶのは勝手やし。

 

 

だから出すほうは投げっぱなしにして。受け取るのも任せっぱなしにして。

 

ただまぁ~~…なんすかね、「分かり合いたい」ことが目的ならそれは研磨も必須な案件なんすかね。意見を擦り(摩り?)寄せ合う? 双方のメンタルを削り合う?

 

よく分かんねぇや。(投げた。)