藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“【若林正恭】 : 『社会人大学人見知り学部 卒業見込』読了。”

若林正恭 著、『社会人大学人見知り学部 卒業見込』を読みました。

発売して3日後くらいに三省堂書店に行ったら本書のポスターは貼ってあるのに本自体が売り切れで無いという事態に遭遇。
数日して再入荷したものを買いました。三刷。

私的にはオードリーが好きかどうかというと普通だったんですけど、なんとなくウィキペディアでオードリーの項を、春日・若林 両氏の項を読んでその性格の違い・補完関係が面白いな と思いまして。


で、この帯の文ですよ。
これは惹かれますよ。


そんな内容、私ゃーもうすごい共感しましたよ。
お金があると…仕事が舞い込むことによって貧乏生活の“不幸”な状態から脱せると思ったらそうでもなかった …ってコトとかね。
『高級料理=幸福』とか、
夢日記』の項にあった、“「デキル」ことと「幸福」や「魅力」はそれぞれまた別の話だ”(P.53)とか。

春日を比較として取り上げた回も。



そうなんですよねぇ。
でもそれはジェットコースターみたいなものでなく。もがいて書いた原稿のあとにマンゴーラッシーを飲んだ とか、そんな瞬間の幸せじゃなくて、標準装填としての幸福感の欠落があるんですよね。
や、私にね。
だから“男の恋愛に必要なものは?”と“春日”の項であったように、若林と同じくして『自信が無い』んですよ。私もね。
(再三、私はそんなコトをこのブログで書いてますけど。)


ただ若林氏と違う点が私にある。それは『嫌われることを厭わないこと』だと思う。
『社会人のルールとマナー』の項を始めとして、言葉を選ばないあまりに周りから顰蹙をかう っていうエピソードがちょいちょい見かけられたんですけど、そこで若林さんは(たぶん)天然で言葉が足らないことを言ってしまって、周りの大人から「もうちょっと言葉選ぼっか^^」と言われる。

私の場合、あまりに空気を読んで疲れてしまうほどなのだ。

言葉を選んで配慮して、そうしてどんどん窮屈になってるのよ。私が。

そうやって不器用に生きてるサマが正直言って羨ましくもあるんですよ。だから若林は「かわいい〜」とか言われるんですよ。(←なにこの憤り)

イベントごとに積極的に参加してみる ってのがあったけど、私も基本イヤなほうでスレてしまうんですよねぇ。ただ仕方なく誘われれば参加するけど、その場は楽しいのも確かにあるけど“空気を読む”ほうを優先して表面上は楽しんでも内心がすっごい空虚だったりね。

若林氏とのこの違いが私にあって、器用に振る舞ってしまえることの心の不器用さ が私にあってこの苦しさをどう解消すればいいのかは見えなくて嫉妬を覚えるほどでした。

解消手段としては『ボケ側にまわる』ってのが一つあるのかな。うーん…。



巻末あとがき“卒業論文”が秀逸でした。
私がそうして現実のルール守って、空気を読んで、言葉を選んできたからこそ、“それを壊す人に憧れる”という若林さんの気持ちには共感。(爆笑問題の太田さんが私は好きです。)

ただ私ゃ“ルールと風習に参加すること”を無理矢理してきたけど、別に楽しくは無かったんだ。
社会には参加出来てると私は自負してるし、社交性もあるように外からは見えるだろうけど、全然友達もいないしこういう文章書くくらい悩んでんですよ。

けどそれは“卒業論文”の文中で表わすなら、私ゃきっと『結果』を優先してきたあまりに『過程』を空虚なものにしてしまってたんだと思う。
しかも私にはなんの『結果』も無い。“好転した結果”など一切無い。

だから結果の値の一喜一憂の変動が誰よりも激しい。それだけが指標だったから。


本はとても面白いです。所謂“青春をこじらせた人”には適正かと思います。
しかしながら若林氏のようにはいかない私。ほんとうに『素直』になれてない私の窮屈さも再認識させられたな。と。
ツッコミする側にはまわりたがるけど、ツッコまれるほうは…嫌われても構わない ってことにどうしたら慣れていけるものか。

社会人大学人見知り学部 卒業見込 (ダ・ヴィンチブックス)社会人大学人見知り学部 卒業見込 (ダ・ヴィンチブックス)
(2013/05/17)
若林正恭

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