藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 47 : 『わざわざ嫌う』”

[外部リンク] : 『「僕は友達が少ない」実写映画化について』


リンク先の平坂先生のコメントの真ん中へんより、(以下、引用)

気に入らないものを無理に受け入れる必要はまったくありません。見たくないものを見る必要はないし、嫌いなものは嫌いなままでいいと思います。が、気に入らないものを力ずくで排除することの悪性を、僕は自分の作品の中で何度も書いてきたつもりです。このことは、読者の皆さんにきっと伝わってくれていると信じています。
(以上、引用)

私はこれまでのブログで、人は『条件』で見てると書きました。
求めてるのは『機能』だ、『都合』だ、『条件』だ。と。

人が求めてるのは『条件』だ。

逆に、“求めてない”のも『条件』だ。
(あたり前だけどね)



わざわざ嫌いなものを組み合わせて、うまく自分の嫌いに合致する条件を見つけてそれを批判する。
そう、『嫌いたい』という意思



『アイツ、ムカつくから無視しよーぜ』

意図的な無視。
無視してないやん、意識してるやん、っていうね。(苦笑)

もちろん、意識せざるを得ないこともあるのかもしれません。ふと、目に入ってしまう、耳に入ってきてしまうのかもしれません。けど、

たとえどれだけ気に入らないのだとしても、潰そうとするのではなく、単に無視していただくわけにはいかないでしょうか。
(同、リンク先より)


うまく逃げよう。
スルーしよう。



好きも嫌いも関心の一つ。
わざわざ嫌いたいのは好きが嫌いに混ざってたり、嫌いなものが実は大好きだったりとかね。
(単に、「気に入らないものを批判するのが好き」というのもありますよね。でもそれ批判するのは勝手だからいいんだけど、そこから大きな渦を作って色んな人を巻き込んでいこうとしたり、嫌いの共感を求めるのは“自分を守る”ことに繋がると思うんですよね。)
これは別に色んな事柄に当て嵌まると思うので。

嫌いな気持ちが『イヤな気持ち』なら…それは当たり前だけど不快なワケで。
じゃあ別に好んで不快な気持ちにならなければいいのにね。

嫌いに意識を向けたがる 自分自身の“関心の価値観”に関心を向けてみる…、
嫌いに意識がいく理由は自分の中にある。




ところで『はがない』実写化について、たしかに少し前にツイッターで見ましたけど、キャストと脚本が良ければいいです。
特に星奈の…肉のキャストが良ければ…!
ブロンドで巨乳でおバカが演じることが出来る役者さんがいれば言うことは無い!!
おっぱいのあるメジャーな女優さんて誰かいるのかな…。全然見当つかないな…。テレビ的にメジャーじゃなくても舞台女優さんでおっぱいがおっぱいして肉々しい女優さんだったら…!
肉の肉は重要だよ!!( ゚∀゚)o彡゜おっぱい!!おっぱい!!