藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『人は物』←『何事も思う通りにしたい』←『強迫性』”

人はただの物である。

…という私の持論。

なぜならば、何事も思い通りにしたいというのが人の常。
全て、自分の都合のいいものを求めるから。利便の追及、機能性。
たとえば『結婚に求める“条件”』だとか、まぁ、そこまででなくても、友人・恋人・仕事仲間など相手に求める“条件”というのが存在する。

そうして人は人を選別する。
無条件に下される選民意識。

その一方で人は“挿げ替え可能”でもある。
誰かでなくてはいけない…という割に、そうでなければ“代わり”はいくらだって用意できる。

ちょっと飛躍しすぎな話を書きますけど、たとえば少子高齢化が言われていて、若い世代に結婚してほしい・子どもを産んでほしいと。その割に若い世代の収入や仕事は安定しない。
ここで政府が“少子”を避けるのは、“高齢者”の面倒を見る人がほしいだけとか、国民が増えることによる税収の確保とかそんなだけでしょう。
よくネットで言われている“移民”がどうだとか言う話はよく分かりませんけど、もしそうならば、『日本国民はアテにしないで外国人を日本国民にして利益上げよう』とかそういうコトですかね?

…誰のための利益か分かりませんが。


というコトで人は物であり、ただの収入源であり、そのための利便を・利益をつかさどるただの“ツール”にすぎないんですよね。
若い人に「あなたのためだから」と子ども増やせと言うあなたは自分の面倒と社会保障費のための都合のために。

自分が思うような生活をしていくために人を強いる。

人を強いる。

勉強をしなさい、仕事をしなさい。
「なんで言ったことができないの!?」

人を強いる。

働かない人間に価値は無い。無能はゴミだ。氏ね。

あたりまえの強制力。

それは法律…“決まりごと”であったり、メディア力であったり、暴力や権力やお金であったりする。
(そして“支配欲”でもあったり。)

つまり全ての原因は“強迫性”にあるんじゃないか …という話。
(“脅迫”でもいいですけど、心理描写としては“強迫”のほうが共通してる感じですので。)

「働かないで生活するなんてこの税金泥棒が!」
「役に立たない人間なんてクソだ!」

“役に立たない人間”=“クソ”だ、という“must”が存在する。
価値観の根底に。


だから健康を害そうが…心身疲弊しようが・うつになろうが、お金を稼ぐことが重要
労働環境が劣悪で人員不足であったとしても…そうして社員を酷使し過労死してしまったとしても、それは仕方ない。
何故なら 会社としては利益を上げることが重要だし、個人としても生活していかなくちゃいけないし、仕事やめたら次の就職の心配もある。という不安。
それに心身ぶっ壊して廃人になったら言い訳が出来るよね。もう働かなくてもいい、役に立たなくてもいいという言い訳が。
働かなくても、周りから「働きなさい」「役に立ちなさい」とは言われずに済むから。
廃人になったら周りからは哀れんでもらえるからね。


でも本当はここまでいってはいけない。

本当に健康に生活していくことを必要とするなら、役に立つことを“must”にして 生きながら死んでるような生き方をする必要なんて無いのに。
自分を物のように扱って、お金を生み出す機械のように歯車のように働く必要なんて無いのに。

あ ぁ で も 仕 方 な い 。
ほかに働くひとがいないから。ほかに役立ってくれる人がいないから。
だから「ゴメンね、申し訳ない」と、役立つ人(物)はとてもよく“はたらく”
とてもとてもよく はたらいて、そしていつか擦り切れ、“ゴミ”になる。
…また“新品”を購入しよう。こんどはよく“持つ”といいな。

あれだけ恐れた“ゴミ”に憧れる。
生きることに、役立つことに急き立てられて、“強迫”されて、もはや“ゴミ”で構わない。
会社の犬でも、一晩だけの恋人でも。
役立って、誰かの利便のために、都合のために生きることに急き立てられて…、
“強迫”に怯えて生きるくらいなら、強迫に流される人生すらも受け容れよう? もはや人は物で構わない。

あなたもわたしも、ただの“物” …?