藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 42”

[外部リンク]:『他人を傷つけるということと、自分を傷つけるということ』(いつか電池がきれるまで)

一昨年、母方の祖母(母の母ね)を亡くしてるんですけど、その告別式のあとに仕事に向かって、お客様から理不尽な(唐突な?)要求を求められ、私が応えられなかったためにキレられたコトがありましてですね。

私の感情はグチャグチャなワケですよ。身内みんな泣いててね。
そこから仕事もあるから私は仕事に向かったけど、そこでよく分からないことでキレられて。

わけが分からないですよね。


繋げていい話かどうかは分かりかねますが余談(?)として、
2011年の震災があったあとのドキュメンタリー見てて、東北のどこかの市役所職員さんが、ご自身も自身以外の家族を失って役所仕事をされてて、そこへ同じく家族を亡くされたであろう一般市民の方が、
「なんで応対してくれないんだ!」
的なことを言ってる っていう番組を見まして。

きっとお互いが家族を亡くしてるから共感…思いやることはできるハズなのに、“役所”というクレーム受けやすいところ(「税金泥棒が!」とか?)だからなのか強い当たりを受けててね。







相手の、色んなほかの人たちがどんな生活背景を抱えてるだなんて知る由もなく、自分の都合ばかりを押し付けあうもので。
で、それを「あぁ、仕方ないね」と罵倒し合ってしまうんでしょうか。

その罵倒に耐えかねて自殺してしまう人はただ『弱かっただけ』の仕方の無いことでしょうかね。
(『仕方が無い』ってコトは一昨年作品にしましたけど。)
じゃあ『弱い人』って見た目で分かるのかと。分からないから自分と同じように人を扱ってもいいのかと。
もしかしたら自分と同じように ただ虚勢を張ってるだけかもしれなくて、たまたま一つの言葉が堪えきれないものになってしまって深いキズを負うことになってしまうのかもしれない。

生きる意思の強さ・弱さってどこで見るんでしょうかね。
その強さのはかりかたも知らないのに。
自戒を込めて。