藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 40の2”

[ニュース] : 『安野モヨコさんが漫画『働きマン』を再開しにくい理由』(WEB本の雑誌 2月11日(月)10時0分配信(yahoo!))

「主人公の弘子なら、いまの週刊誌の現実を前にしたら、『この雑誌ではダメだ』と思うだろうな、と。でも、だからと言って弘子が雑誌をどう変えるかという話を考えてみても、どうしても、実際にはどうにもならなかったというストーリーにしかならなくて」(安野さん)

 安野さんが実際に出版社を取材した際、業界に危機感を持っている人に話を聞かせてもらったそうです。しかし、出版のプロでさえも「どうにもできない構造」があるというのです。

 これを漫画にするとなると、相当の気力・体力が必要となってしまいます。業界の行き詰まりの表現は避けて通れないと考えている安野さんにとっては、『働きマン』再開は、非常に難しい業務になるでしょう。同作再開の前に、まず日本の景気回復と、出版社の構造改革を願った方が良いのかもしれません。

 「週刊誌の世界の厳しさを描くなら、広い意味では同じ出版業界の一端にいる自分の立ち位置は......とすごい考えてしまう。そういう環境の中で描くのは、かなりむずかしいことだなと思うんです」(安野さん)

(記事後半抜粋)


前回書いたのはあまりにも安易すぎたんでしょうか…。
というか読者視点ではそう思ったんだけど、実際の編集現場ではなかなか難儀なんでしょうかね。


…それとも、既存の雑誌・編集部体勢でいくことに作品としての限界があったから?仲間というキャラクター、脇役を切り捨てて作品を作らなくてはいけなくなったから?
雑誌編集の限界じゃあ無くて、漫画『働きマン』としての作品世界の限界ってこと?


『働きマン』のウィキ見てきた。(すいません作品は未読です。)
あぁ、やっぱり主人公以外の人物に焦点が当てられてるのね。で、『週刊現代』がモデルなのね。

なんだろうなー、どうしても頭の中に、編集部切り捨てて、これまでの雑誌を切り捨てて、新雑誌をつくる っていうのがどうしても頭に浮かぶなー。
や、漫画でいう、エニックス編集部騒動じゃあ無いけどさ。(苦笑)
吼えろペン』にあった、ヤンサンが休刊したあとゲッサンが出来たようなエピソードをモデルにした『ほんとうの最終回』じゃあ無いけどさ。(苦笑)


雑誌を生き残していくことが重要なのか、その雑誌の編集部が生き残っていくことが重要なのか。
自分という編集員が生きていくことが重要なのか。ともに苦労した仲間の編集員とともに生き残っていくことが重要なのか。
大切にしている内容のダブルバインドになって身動き取れなくなってる っていう現状なのかしらね。
あくまで推察の域を出ませんけどね。