藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『ブタがいた教室』を見た。”

ブタがいた教室』を見ました。BS JAPANで放送されてたものを録画したのをやっと見ました。

これも結構古いのかな? って思ったけど、先日の『ジョゼと虎と魚たち』に比べたら新しかったですけどね。(2008年のようで。それでも5年前か。)

内容はそのまま、“クラスでブタを飼う、育てる、食べるか食べないか。”
って内容だけど、個人的にこれはこれでいいと思うんですけどね。食育としての是非はともかくとして、こういう世界がある、こういう価値観がある っていうのだけでも。

ただ、大前提が、最初に妻夫木先生が、「ブタを飼って、食べようと思います」って決めてから話していて、最初にこの話をしたときにクラスでも、
「えー、なんでー?」
って言ってる生徒もいたのにそこでの議論もせずに育て始めて情が移って…、ってなっていってるので、食べることから生徒に決断させるか、いずれ食べることになるブタを育ててみる っていうどっちかから話を進めないといけなかったんでしょうね。

で、
こういうのも私が『百姓貴族』や、『銀の匙』とか荒川弘作品読んできたから、別にどっちでもとも思える感想を思ってるんですけどね。
「命の期限は誰が決める?」というコトや、「いずれ食べられる運命にある生物に愛を注いで育てる」
……っていうことも、私はそれを人間に置き換えて考えてしまうし。
「いやいや、人間もいずれ弱肉強食で食べられる生物でしょう?」 と。
どんなに誰かが愛情をかけて人を育てても、市場に放たれれば別の誰かに“食べられる”でしょう?
って思うもので。

それは『銀の匙』での競走馬の生涯っていうかね。脚がダメんなったら“処分”とかさ。

価値観の育ち方が違うんだからどうしたって疑問も議論も生まれるもので。
たまたま実情を知らないで享受されてるだけのものに感覚が麻痺 っていうか無知なだけでさ。

それよりも疑問を持たないでいたほうが問題だとも思うから、この映画はこれはこれでいいんじゃないですかね。

だから、妻夫木先生が「育てて食べます」って言って、そこで議論にならずに、育ってしまってから大論争になってしまうのも、最初は惰性で流されて、「まぁ、みんながやるならいいか」っていう自分で決断せずに行動してしまった問題を、あとで感情移入してしまって先送りした問題(あとで当事者となって立場上考えざるをえなくなってしまった問題)の解決がさらに困難になる …っていうのも実際現実によくあるコトですから。
ましてこの場合、先生(大人)が言ったことを反論せず(出来ずに)に流して受けてしまった っていうことも、そこで子どもたちに反論の機が与えられずに、大きくなった問題を子どもたちが解決しなくてはいけない っていうのも、これ現実のさまざまな問題に当て嵌まるんじゃないでしょうか。
この国の財政不安の問題とかね。


そういった視点でも面白かったんじゃないですか?
妻夫木先生は基本的に自分の考えを示そうとしなかったし…行動では責任を結構取ってましたけど。
だから大人視点でいくと、“自分たちの問題”となって降りかかった大きな問題に、ケンカするほど・泣くほど議論する子どもたちをただ眺める大人としては、
「なんてバカで滑稽なんだろう」
「ま、オレ(先生・大人)知らないし」
と皮肉目線にも出来るなぁ、って思うものです。
それこそ、生徒の親たちが ブタの世話によってクサくなったりケガしたりしてから、ブタを飼うことに反感を抱いたように。
当事者意識の違い っていうかなー。

価値観の違い っていうよりか、価値観の形成のされ方から着目していかないと、価値観を変えるとかいうのは容易では無いのかもしれませんね。

だからこの映画も良かった悪かったじゃなくて、制限された状況下でどうするか っていうのを見るのには面白い作品だったんじゃないでしょうか。
ただ最後はやっぱり食べてほしかったですけどね。Pちゃんを。

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妻夫木聡原田美枝子

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