藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 30”

(どうでもいいけど、駄文カテゴリに“駄文”のセルフタイトル入れてるのと入れてないのとあるけど、タイトルカウント数は“駄文”と付いてるエントリだけなんだよな。テキトーやなぁw)



[外部リンク] : 『管理人が死亡したっぽいHPって不気味だよな』(ソニック速報)


これについては前々から書いてるかもしれませんが、別にいいんじゃないの? って思いますけどね。

ある意味、ブログなりHPなりも その作成者の作品なんだから作品は遺っていけばいいんじゃないですか。
美空ひばり尾崎豊のようにいつまでも。

青さんが「子ども作れないから作品を世の中に残す」ってコトをなんかのインタビューで言ってましたけど、ま、そんな感じで。

一般素人のただのブログ・日記に価値があるのか、っていうけど、それに誰かが意味を見出したら価値なんて自然と生まれるものだし。
(すべての物事は中立で、それに意味や解釈を与えるのは個人のもの って言うからね。)
だから芸能人の日記ものでもそれに価値があれば日記でも残るし。
仮にですけど、中島らもさんの書籍が人によっては価値になったりどうでもいいものだったりもするもので。

一般の人も近しい人にとっては価値のあるものなんじゃないですかね。

その発言・文章から汲み取れ得る思想が、創造的であろうと、破壊的であろうと、それは全て同じ人間の背景の上に成り立ってたりするし、そういう要素は誰しもが孕んでるワケですからね。


『いつまでもネットの海に漂ってる』 っていう、そういう想像した上のサマみたいのが違和感というか不気味というか……そういうのを感じるんだとしたら、もう宇宙でも想像してしまえばいいと思うんですけどね。w

どれだけこの宇宙に色んな物が漂ってるか。宇宙ゴミのコトとか考え出したらキリがないくらいですから。w

[外部リンク] : 『スペースデブリ』(Wikipedia)

こういうのも意味があったり無かったりしますからね。
ただ大局的視点に立って見れば、『どんなものにも意味はある』ってなるワケですから。

不可視か可視かの不確かな浮遊し続けるものに疑問を持ち始めたらキリがないのでございます。
(↑というか上記の韻踏みしたかっただけ。w)


ネットの記事のあるサーバがクラッシュしない限りは、いつまでも残り続ければいいと思いますよ。
それがいずれ誰かのためになるのかは分からないですし。