藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“[ニュース]女性の平均寿命、順位下がる。あと、性差による自殺率。”

女性27年ぶり世界一転落=平均寿命、震災で低下―20代女性自殺増も影響・厚労省
時事通信 7月26日(木)16時43分配信

 2011年の日本人の平均寿命は、男性79.44歳、女性85.90歳で、東日本大震災の影響でともに前年を下回ったことが26日、厚生労働省の調査で分かった。
 厚労省が調べた世界の国・地域50カ所と比べると、女性は2位、男性は8位。男女ともに1位は香港だった。女性は27年ぶりに世界一から転落した。
 猛暑の影響を受けた10年に続き、2年連続の低下。前年から男性は0.11歳、女性は0.40歳下がった。
 震災による死者を除くと、男性は前年より0.15歳延びて過去最高の79.70歳。一方、女性は前年を0.06歳下回り86.24歳だった。20代で女性の自殺者数が前年の787人から1008人に増えたことなどが原因という。
 厚労省は「自殺者数は男性の方が多いが、女性は若い20代で増えたため、影響が大きかった」としている。
 平均寿命は、その年に生まれた0歳の子どもが何年生きられるかを予測した数値で、世界各地の順位(上位5位)は以下の通り。
 男性▽2位スイス▽3位アイスランド▽4位スウェーデン▽5位イスラエル
 女性▽3位スペイン▽4位フランス▽5位スイス。

(以上、ここまでニュース引用)


「2位じゃダメなんでしょうか?」(あの人の声で脳内再生。)



この記事に対してのyahooコメント欄も、「このままならあまり生きたくない」というものが多数。

このニュース、 なにより20代女性の自殺者数が1000人超、っていうのが驚きでした。

高齢者の話になるのですが、そのコメント欄にあったような、寝たきりでただただ寿命だけが…年齢だけを重ねていくことが良いことなのだろうか、と。健康年齢としてはどうなんだろう、っていうね。

無力について書いた5日前ほどのエントリとかで、寝たままの状態、行動が制限される状況下は生きるうえでの活力が減退される と書いたような気がしますけど、これ、ホントどうなんでしょう。


さて、自殺についてのことでこんな記事を見たのですが、

[外部リンク] : 『男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由』

ジェンダー論って中途半端ですよね。
誰かが、その性別の代表者になったような感じで、
「これこれこういう生き方をすれば、男性は・女性は 幸せになれる」
と言われましても、個人的に状況が、環境が違うんだから無理な話ですよ。

これまでの価値観がもう頭打ちだと思うんですもの。

『男は仕事、女は家庭』とか、
『亭主元気で留守がいい』とか、
まぁ、色々ありますが、そんな中 男女共同参画とかいったところでこれまでの…たとえば女性にしてみたら、『女は家庭を守るもの』というものを背景にしている限り、背景という ある種“世間”という現在進行形のトラウマがあるゆえに気負ってしまうような・息巻いてしまうような感じとかね。
で、機会の平等性ってことで、仕事でも有能な女性はどんどんキャリアアップしていくけれど、そうなると男性も同じ競争の中に含まれることになるので、男性の就労意欲も減退しますよね。
(このへんのこと内田樹さんが言ってらしたんだっけかなぁ…。)
(たしか人材のグローバル化についてと同じ文脈だったと思うんだけど、ある分野に対して有能な人材なら誰にでもチャンスがあるという、機会の門戸を広げるということは、それだけあぶれる人もいることになり、想定されていた家庭モデルとかからも必然的に逸脱してしまうから未婚や少子化にもイモヅル式に影響し、国民一人ひとりの幸福感や、政府の理想とする税収からも良い成果が望めなくなるんじゃないか っていうこととかね。)

(完全に能力主義、利益主義 っていうことになるんでしょうかね。)


で、
第一、男に『男らしさ』とか、女に『女らしさ』とか言うけど、それっていつまで議論してるワケ?みたいな。

たぶん解釈として、粗暴なのが『男らしさ』とか、色っぽい、エロいとかが『女らしさ』とかどうせ歪曲されてるんじゃないの?とも思ったりね。
おいおい、それはただ『品が無い』だけじゃない? とかね。
(穿ってる?)

話がやや前後するかもだけど、女性の自殺者数が増えてしまったのは、ある意味で選択肢の拡大も上記の“機会の門戸が広がる”ことに通じるんじゃないかな、とも思うんですよね。
仕事もできない、結婚もできないではダメだ。みたいな。
あぁ、あとは若さを重視してることとかね。

でもこれ…若さの重要視は、男女どっちのもあるけどね。女性に関しては出産とか生理とか分かりやすいけど、男性だってね、『男は外で仕事』ってのに、新卒採用じゃなきゃオワタとかね。

仕事や社会に対しての柔軟性に関しても、若い人のほうが染めやすいってのはあるのかもしれませんね。
逆に言うと、一回味をしめてしまえばあとはそこでふんぞりかえるだけ、ってのもあるので。


フツーの…ある年を重ねた方とかは、結局『価値観の権利』にあぐらかいてるだけで、非常につまんないんですよ。
俗っぽい言葉で言うと、いつまでもバブルの幻影にしがみついてるようなね。


そういうんじゃ無い意味で、美輪さんとか糸井さんとか名越さんとかのどこかの発言で、年を重ねることの面白み についてあったんですけど、おじさん・おばさんになっていくことの面白さみたいなことがね。それがあれば自分が老いていく自然の摂理を肯定的に受け容れて面白がれるとも思うんですよ。
(そういえば福岡伸一さんは『探検バクモン』で『“アンチ”アンチエイジング』だったような。)
(で、そこで同じく太田さんが、「年を重ねることにいいイメージを持ってないから・持てないからアンチエイジングするんじゃないか」とか言われてたような。)

あぁ、その老化を肯定的に、ってその“無力”について書いたときのような、それもね。
出来なくなっていくことを知ることがね。

(『百舌谷さん逆上する 8巻』でも、希望の深淵さの恐ろしさが書かれてたからね。)

(名越さんの本の中で、『実るほど頭を垂れる稲穂かな』の言葉を使って、年を重ねたからこそ謙虚になれる、ことが書かれてあったような。)



年を取っていく(というよりニュアンスとしては『取られていく』に近いのかな? 出来てたことが奪われる って意味で。)よりも、年を重ねていく、という、生きる中身を大事にするというか。そういう体感で居られたら、“自分”というものがもっと洗練されてくるのかな。
出来ること、出来ないことがハマってくるような。そうして人間関係が成立していくように。


ただ、選ばれなかった場合 とかはどうなんだろう?とも思いますが。個人と関係性が、なかなかリンクしないときとかね。

それはまた今度。