藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“怒るということ”

過去エントリで、アルボムッレ・スマナサーラ氏の本を読んでおきながら、このタイトルはなんぞや、という感じですが。(苦笑)

先ずなにより、『怒らないこと』が大事だという価値観を持ちたかった というのが私の本音で。
持ちた か っ た 。
それは私がこれまで、いらんことで怒られたり、相手のご機嫌伺いながら愛想笑いで返してきてるからこそ、相手の価値観に倣って…ある意味依存して、いたからこそ、『怒る』ということがキライなのです。

なんでコイツらは、こんなちっちぇえコトでいちいち怒ってるんだ。バカじゃないの!?
もっと人格磨けよ・品性を持てよ。

一定の集団内の上位者の圧力 とか、DQNとか。
実に下らないことで、思い通りにならないことにいちいち怒りを露わにし、高圧的な言動を屠る。
思い通りにすることでその沸騰は冷めて、手厚い謝罪を受けることでその沸騰は冷めて。
そんなに人をコントロールするのが大好きなのか。

そんなに人を思い通りにさせたいなら、
もっと人の心を壊してくれ。
心も精神も魂も叩き壊してくれ、無くしてくれ。そうすれば『怒り』に対する嫌悪も抱かず、決して愚痴も漏らさず、
あなたさまの人形・ロボットのようになって差し上げるのに。



美輪さんが、社会における芸術や美というものは、心に豊かさをもたらすもの だ、と。

過去にも書きましたが、芸術や美はカネで換算され、美の金額に人々は感嘆する。金額に感動する。

心は既におかしくなっていく。
実に可笑しいことだ。



『“怒る”人』に嫌悪を持っているからこそ、『“怒る”こと』にも嫌悪を抱く。
『怒ること』はよくないことだ。
だからアルボムッレ・スマナサーラ氏の本、小池龍之介氏の本があったように、私は『怒らないこと』を肯定したかった。

しかし私はもともと『怒る』ことを露わにしていなかった。常に人に合わせていたからこそ。
『怒らないこと』を念頭に置くことで、
『怒り』の感情が湧き上がってくること すら、許せなかった。
なのに、『怒る』人をたくさん目にする。(まぁ、それは私の仕事が“社会の縮図”みたいなとこで働いてるからこそかもしれませんが。)


どこか『怒り』自体を拒絶していたからだろうか。
過去にも書いたけど、『楽しいことがわからなくなった』。
全てが虚無。無味乾燥。
あぁ、人間には機能や利便だけを求め続けていればいいのね。と。感情を表面に出さないようにコントロールすることが体裁上の健全であると振る舞うことに務め、人に合わせた感情を演じて表明する。

ああ 楽しくない。
生きることはなんてつまらないことだ。

けど、『怒る』人を目にする。
『怒り』の標的にならないように。たくさん見る。ビクビクしながら。
けど、それは果たしてただの恐怖からなのか と。

ホントはそいつらが羨ましくて仕方が無いのかもしれない。私の中でそう思った。
思うように、ジコチューに『怒り』を表すことが出来ることへの嫉妬・憧れ。
いやいや、若いコがね、ちょっと悪いカンジのコを好きになるような頭がアレなヤツのコトじゃあ無いですよ。(笑)
(そういった意味では私の思想のほうが暗黒なんですけどね。w)

自分が『怒り』を抑え込んでいるからこそ、思うように『怒り』を表すバカどもが何処か羨ましかったのかもしれない。




どこか私の中で、感情を思いっきり表出することが、人間的に恥ずかしい行為だと思っていたかもしれない。


無闇やたらに怒り散らすなんてバカなヤツの行いだ。
アイドルに熱狂して豚声喚き狂うなんてバカなヤツの行いだ。

無防備な感情を外に出すというのは恥ずべき行為だ。


秋葉原でやらかした彼を 爆笑問題太田さんが、あれを 彼のコミュニケーション手段だ と評した。
抑えつけられてきた人は、人を殺すか、自分を殺すかしかない。


怒っても無駄だ、という理由が故のコトもある。
たかだか私なんぞが感情を激昂させたとして、それで怒りの相手に物事が通じるかというと 所詮は 暖簾に腕押し。
もしくは私以上の怒りを相手様が見せて下さいまして、こちらが『ぐぬぬ』となるだけのこと。『怒る』のには結構エネルギーを要するから、だったら怒らなくてもいいや。ってなる。
…ただ、私の中ではすっごく燻ぶっているというのに。

私を殺した私は表層的な私を失うとともに、根底の自我に囚われていたことも知る。



他人の『怒り』に興味・関心があるのだ。それは即ち、『怒り』が好きなのだ。
だから『怒り』が気になって仕方がない。無意識でそれを望んでいるから気にしてしまう。
無防備に感情を露わにすることが気になるのもそれを本心では望んでいるから。


けど、それが『どうせ無駄だ』とか、『怒っても通じない』、『また相手が怒り返してくる』っていうコトへの恐怖や、表層意識での『怒ることはよくないことだ』という思い込み。
ここの部分が葛藤して『怒り』をオモテに出せないでいたのかもしれない。

『怒り』どころか、『楽しい』とかも。

感情は全て直結しているそうで、喜怒哀楽のどれかが欠落することは無いらしいから。


だから感情には素直になったほうがいいのかもしれない。

……まぁでも、だからといって、沸点低くなってもどうかと思うし、気分次第でキレたりするようなヤツには相変わらず嫌悪なんだけど、それすらも望んでるコトなんだろうかねぇ。。。