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良スレだと思ったので、残しておこう。
スレ中にも書き込まれているけど、この『大事にされる人』というのを、『(都合の)良い人』て解釈にのみ考えてはいけない っていうか。
“ >>55 大事にされる≠いい人、都合のいい人 ”
ってね。ただの利害関係じゃないんですよねぇ。
“>>120 精神的メリット”っていう、言葉だけだと語弊と感じるかもしれないけど、意味はなんとなくこれで分かる気がする。
アランの哲学の、『楽観は意志』じゃないけどさ、幸せそうにしてる人・自然と笑顔になる人には幸せな印象を受けるし、周りも良い波長に包まれる感じがするものね。
だから明るい人とか、朗らかな人とか 一緒にいたい って思わせるものね。それがひいては『大事にされる人』であったり、『好かれる人』なのでしょうね。
スレタイ見て思ったのはやっぱり、
『笑顔の人』とか『あいさつする人』とか。好印象だよね。
あと『肯定してくれる人』。…但しこれは程度の問題にもなるけどね。度が過ぎるとそれこそ利害になってしまいかねないもの。
あと、『誰かの幸福な出来事を喜べること』かな。
競争主義で、生きることすらも生存の競争のレースに走らされてる中、誰かの幸福を素直に喜べること(皮肉めいたことでは無くね。)って嬉しいことだものね。
どうしてもね、揚げ足を取ったり、ネガティブな方向へは自然と考えがいくもので。
でね、『自分は大事にされたい』と思うクセに、“大事にされている自分”というのは常に保障されている気になって横柄な態度になってしまいがちなもの。
もし、これからも変わらず、利益を生み出せるものだけが肯定され続けていくのなら、このスレに上げられてるようなことはしないし思わないだろうし。頭が良くて要領のいい人だけが生き残っていけばいい話で。
ただただ淡々と、淡白に、望むものに応えるという その関係だけを冷静に保ってればいいコトになる。
でもそれだけだとやっぱり空虚。
ちょっとでも心を満たしていきたいからね。たくさんの笑顔で溢れたらいいと思うわ。
便利で高度な時代になって、技術的にそれについていける人、ついていけない人もいる。出来ないものがどうしても出来ないコトもあるけど。
人として豊かであるコトは、気付けば適うことができるものね。