藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“情熱の裁量”

SHAKALABBITS Bass:KING 脱退 → コメント

SHAKALABBITS ほか3人 KING脱退について → コメント

ナタリーの記事で知ったのです。
私としてはそこまでファンじゃないんですけどね。175Rとコラボしてた辺りに、シャカラビのアルバムを過去に一度購入したことはありましたけど。まぁ、それくらいなんですけど。

『よくあること』なんて言っていい話かどうかは分かりませんが、『無い話』では無いです。よね。
こういうコトはほかの職業とかにも見受けられると思うので。

ただ、客観的に、誰もがミュージシャンなんていうのは好きだから・楽しいから で始めてるものだと思うし、そこそこ名の知れたバンドなのだから「どうして?」という意外性みたいなところが尾を引いてるのかしら。


『好きなものが好きでは無くなる』という感覚はあると思う。けど、別にほかに何かやりたいことがあるワケでも無いっぽい。
……でも、そういうコトはあると思う。

練習をする と言う。けど、しない。のか、練習をしたけど上達しなかったのか。やってはみたけど 思い描いていたプレイやラインが弾けなかったのか。

ナタリーの記事に対するtwitterのコメントで、「『うつ』じゃないのか?」という意見も見ましたけど、それも分からない話で。

支えてくれる、多くの人がいる それは分かってる・自覚していたとしても、そ ん な も の どーでもいーくらいに、無碍にしてしまいたいくらいになってしまう気持ち というのは分かる。
根源的に、何がそこまで無気力にさせてしまうかは、本人の心の内を、自ら知ることでないと、そんなことはたとえ家族であろうが友人であろうが分かるワケが無い。

ちなみに私的な勝手な考えですが、自棄的になる理由としては、『別に自分なんていなくても世界は勝手に回る』みたいな考えで、多くの人が支えてくれたとしても、どーでもいーと思うコトはありますけどね。
すべてが補完し合って、埋め合わせていくから、アヤナミ的に「私の代わりなんていくらでもいるから」みたいな。(苦笑)
また、『好きかどうか分からないものに向き合う』コトについて、これも好きなもの・楽しいものが一瞬の作用に過ぎなくて、その一瞬の時の次の瞬間には空虚な瞬間を感じるから虚しさを感じる。…というのは私にはありますよ。
“楽しさ”という刺激の麻薬を過剰に摂取し続けているだけで、持続的な楽しさや幸福というものを誤魔化してるだけじゃないか?とかね。

逆に言うと、『好きだから』って言葉に根拠や意味なんて、一切ないのです。
カレシが好き。なんだかよく分からないけれど、好きだから好き!
…って付き合う前は思ってても、別れるときには、
○○がキライ、○○がムカつくからキライ。…と、理由を並べ立てる。

一度 好きじゃなくなってしまったら、そこからは好きな部分を探してわざわざ取ってつけたような感じになってしまって、尚更身が入らないんじゃないかと思うのです。


フランクルの発言で、『人間は意味を求める生き物である』みたいなのがありますからね、意味や理由を求めてしまったら、どこか逃れられないのかもしれませんね。
物事を好きにさせる理由を、わざわざ与えようとしてもなんともならないと思うから、それこそ何かに、色んな出会いやキッカケに敢えて流されてみたら何かが見えるのかもしれませんね。

そもそも“自分”という代えの利かないものに、ならなくてもいい というコト自体にも。