藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“共感と即時性(あと、未来。)”

【SYNODOS】『「可哀相なひと」と「困ってるひと」はイコールではない 重松清×大野更紗』


重松さんと大野さんの対談が多岐に話題に触れてるので主軸でのツッコミには当たらないと思いますが。。。



本(テキスト)を読むことで『時間のコストパフォーマンスが悪い』というのがあったけど、即時性や共感がミックスされたコンテンツ(対談中の言葉で『単発で「悦」を得られるもの』)が重要とみなされてるというのが今の時代というか。

先日放送されたMAGネットでも、テレビ業界、ラジオ、ニコニコ と、各種メディア担当者がいて、メディアの対立構図では無く、協力してやっていけたらいい 的な話があったりして。それはともかく。
コンテンツが飽和状態になってるんじゃないのかな?というのも少し思ったりして。

いくらニコニコ生放送で利用者の99%が素人(一般)であろうとも5,000もの人がメインで持ってるワケですよね。
コミュニケーションツールとしてのコンテンツ、っていうの?
ニコ生に限らないと思うけどさ。



や、つかね、こんなにもコンテンツがいっぱいあってね、テレビもネットも、ラジオも本も、CDも舞台も 色々あってね、どれだけの人がこのコンテンツを作るために時間を使い、どれだけの人がそのコンテンツを受け取るために時間を使ってくれるんだろう。っていう。

…まぁ、このブログもそうなんだけどね。なんかすみません。(よく分からないけど先に謝っとけ状態。)


話を戻して。

『時間のコストパフォーマンス』がかかるものは とっつきにくい っていうか。
リンク先対談で話題に出てくることですが、結局そのコンテンツを消費したところで自分になんのメリットがあるのか というのをすぐに、無意識に考えてしまうと思うのです。
尚且つ、そのメリットを受け取るならば、『すぐ・早く』で、『楽しいもの』というのは必携で。
だから、めんどくせー、わかりにくいもの、馴染みのないものは敬遠されていくので。

エンターテインメントというのは刺激物である。のです。
刺激にはさらなる新しい刺激が欲しいもので、どんどん どんどん。それを求める。

だから分かりやすくて下らないもの、というのは安易に重宝されてしまう。
そしてそれはどんどん上書きしていく。
どんな情報(ネタ)でも早く。確実で無くてもウケるものなら。
それが正しくなかったとしてもスルー。『スルースキルは必須だろ』みたいな。
仮に正しくなかったことを謝ったとしても『サーセンwww』でおk。

こうして下らない話を誰かれと共有することで楽しさを得たり。

テレビをツイッターで実況するのもそうだけどね。(私もやるけどねー…。)


難解なものを時間をかけて取得すること。について。
それをしたところで、なんの意味があるのか、『努力すれば成功する』みたいなものはもう確証されない。

だから今、楽しければいい。
楽しいものをどれだけ共有できるか、共感できるかということに終始する。“楽しい”が増幅すればいい。
(この“楽しい”も『誰かの提示する“楽しい”』がキッカケになってたりして、誰かにとって特異なものを“楽しい”とは言い始められなかったりしてね。)

あの震災があったからこそ、今・この瞬間を大切に生きる っていうことが言われたりしましたけど、それはかつて、主に若者を指して言われたように『刹那主義』とも なったり。
今の暮らしがあればいい。 で、無ければ死んでもいい。

けどそれは派遣など使い捨てで人を使ってきた企業にも理由があったり。

コンテンツの話で言うと、萌えアニメなんてよっぽどで無ければ使い捨てだし、バラエティ番組で言うと深夜帯は良かったのに、ゴールデンに出てきて線引きでつまんなくなった。
瞬間に徹して伝えたいのか、長いスパンで伝えたいのか。
でも『瞬間の消費で構わないもの』に従事してる人はそれが一生の計画だったりした人もいるんだろうし。


夢を与える仕事の“大切”が、どこに価値観が置かれてるんだろう。

何気ない日常が大切というコトが、清貧によって語られる矛盾とか。




人の心に訴える共感が響くのは、安心感のあるものをもたらす確実なもの、それが欲しいだけ。
けどそれは不確実で持続性も無く、挿げ替えられるのに。

(もっと推敲してまとめればいい文章になったんじゃないか。と思うけどこのまま。)