藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『FILE085:ハトはピカソがお好き?』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養
2009.09.15.O.A.
『FILE085:「ハトはピカソがお好き?」』を見ました。

渡辺茂(わたなべしげる)生物心理学。
慶応義塾大学文学部人間関係学系教授。

1950年に『イグノーベル賞』を受賞したという。

以下、番組内容。


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研究室へ。中に入っていき、学生の人からマウスの空間実験について説明を受けたり。
カゴから出して、丸く囲まれたとこにネズミを出す。その中からエサを求めていく ということだけど、始めは闇雲に動き回っているけれど、そのうち部屋に貼ってあるポスターなどから空間を学習し、エサまでまっすぐ辿り着けるようになる。とか。

別の部屋へ、また別の学生の人から。
学生:「セキセイインコの行動を4台のカメラで追っていて、どういう関係を作っていくか っていうのを…」

で、セキセイインコについて、
学生:「浮気するんですよ。」
太田:「鳥はだって 一夫一婦制だって言うね。」
学生:「それが定説だったんですけど 最近ちょっと…」
太田:「違うの!?」
そうしてカメラでインコの動きを見てるそうな。


部屋から出て、渡辺先生から「ハトとかカラスとか今日はお見せできなかったけと…」と続け、
渡辺:「色んな動物の実験をやってるんですね。」

そして渡辺先生が案内し また別の部屋へ。

《ナレーション》
:続いては世界で初めての試み。

渡辺:「脳を調べている所なんですよね。」

渡辺先生、ガラス瓶からピンセットで小さな脳を取り出す。マウスの脳だという。
そして次に ハトの脳、さらにカラスの脳と出していく。順に大きく、カラスの脳が一番大きい。

太田:「大脳がデカいほうが頭がいい?」
渡辺:「まぁ、一般的にはね」
そして脳を薄く切ります。と。

《ナレーション》
:カラスの脳を厚さ50ミクロンという極薄にスライス。染色液で染めて、顕微鏡で覗き、各 神経細胞の位置を割り出していった。そうして完成させたのが 世界初 『カラスの脳地図』。
 実はカラスの脳は思考や感情を司る大脳の中でも、複雑な情報処理を可能にする部分がよく発達していることを初めてつきとめた。

爆笑問題の2人は脳のスライスされたものを見ながら、ちょっと…気持ち悪いなぁ…と。

《ナレーション》
:これまで誰もやらなかった方法で 動物の心理を明らかにする。


別の部屋 応接室のような場所で話。イグノーベル賞を受賞した研究について。
『ハトに名画を見せること』

ハトがピカソの絵を見ている映像を見る。ピカソの絵が出ている時はモニターを突っついているけど、それがモネの絵になるとモニターを突っつかない。そしてピカソの時にエサを取る。

渡辺:「こういうふうにやって、モネとピカソの絵の区別がつく という実験。」

そこで太田氏より指摘があり、ピカソの絵とモネの絵の、今見ている絵を覚えているだけじゃないかと。しかし 渡辺先生よりピカソとモネの絵 ともに違う絵を見せてもピカソとモネの区別がつくという。
けど、晩年のばかり、と。

渡辺:「そうです。だから 青の時代とか あぁいうのは扱ってないです。あれはダメです。
    キュビスト時代のピカソとインプレッショニスト全盛期のモネです。」

《ナレーション》
:ハトがどうやって区別しているか。まず、(絵を)白黒にしてみた。しかし ハトはピカソとモネをちゃんと見分けた。色みではないと。今度は絵にモザイクをかけた。それでも見分けた。つまり輪郭の違いで絵を捉えているわけでもない。

渡辺:「いろんなものを手掛かりにして、総合的に判断しているんですね。」

続いて、
渡辺:「これ、子供の絵なんですけども…」
と、ディスプレイの左右、赤と青それぞれに5枚の絵がある。
渡辺:「どこが違うかわかりますか?」

それに田中氏が答える。
左の赤いのは上手な絵であろうと言われるもので、右の青いものは、ま、下手な絵であろうと言われるもの。

渡辺:「芸術的な問題はたとえ動物もわかるとは思いませんけども、こういう素朴画 子供の絵みたいなやつだと、『これが上手でこれが下手』っていうのはおそらく鳥にも出来るんじゃないか っていうんでやったんです。」
太田:「それで、できたんですか?」
(身を乗り出してディスプレイを見る)

渡辺:「それで、見たことのない絵を見せても判断できた。
    ひとつき…前に論文で発表して、いろんなところで反響があった研究です。
    ただね、これは区別がつくということであって、鑑賞しているということではない。絵を見て楽しむかどうかというのは別の問題なんです。僕らがこういうものを調べる時に二つのことをいつも気にします。
    『区別がつくか』それが『楽しいか』二つなんですね。で、楽しんでいるのがもうちょっとハッキリするのが音楽のほうなんですが。」

渡辺:「これはね、文鳥なんですけれども、曲がバッハの曲とシェーンベルクの曲が流れます。」

と、その映像を見る。バッハの曲は止まり木を飛び移り、エサを取りに行くが、シェーンベルクの時はエサを取りに行かない。


《ナレーション》
シェーンベルクの音楽に不協和音が多いことではないかと 渡辺は考えた。
 そして不協和音の時は右の止まり木に、和音の時は左の止まり木に止まるよう訓練してみた。
 すると その通りの動きをしてみせた。


渡辺:「で、これは区別の実験なんですが、あの、今度 音楽に関しては『心地良いかどうか』という実験をやりました。それは こう止まり木が3つあって…」
 左がバッハ、右がシェーンベルク、真ん中が無音 という。そうするとバッハのとこにずっと居たそうな。
渡辺:「で、それだけだとあんまり面白くないんですが、他の動物で いろいろやったわけさ。
    で、ハトでやってみた。ダメなんですね。音楽の好みが出ません。区別はできましけど 好みはない。
    ネズミでやってみた。ネズミも音楽の区別がつくんですが、でも 好みが出てこない。で、金魚でもやった。金魚も音楽の区別が出来るんです。だけど好みは無いんです。 さぁそうなると、僕らと文鳥だけが持ってて、他の動物がダメなのは何故か というのが問題になる。
    複雑な音声コミュニケーションを覚えるっていう、そういう必要のある動物にとっては、ある種の聴覚刺激が心地よいってのは ものすごく有利に働くんですね。自分で聴いて 楽しいっていうんで どんどん練習できるわけですから。おそらく、ま、それが原因だろうと。」

《ナレーション》
 文鳥は歌声のようなさえずりで求愛する。だから音楽のセンスが磨かれたのだと、渡辺は考える。


太田:「先生はこういうのをやって、結局何を追及してるんですか?」
渡辺:「あのね、結局、心理学はヒトの研究をしますでしょ。ヒトの研究だけではわからない ヒトの側面があるんですね。それでいろんな動物で人間的なことをやらせてみる。」
太田:「心理学?」

渡辺:「心理学。『これは人間独自の機能だよね』って言われたことのある部分は動物で出来る っていうことが分かってる。逆に言うと、じゃあ残りが人間スペシフィックな これこそが人間の特性だっていうことが 段々明らかになっていくんですね。その一つが言語です。」

渡辺:「あの、チンパンジーに言葉を教えるっていうプロジェクトがずいぶんあったんですね。で、なぜチンパンジーチンパンジーになっちゃって人にならないか。それはチンパンジーに育てられたから。 人の子供は人として育てられたら人になる。
    自分の子供とチンパンジーを一緒に育てたんですね。同じように扱って で喋るかといったら喋らない。それはのどの構造が喋れない。」


《ナレーション》
 生物心理学のヘイズ夫妻によって チンパンジーをヴィッキーと名付け、6年間育ててみたが、喋ったのは「パパ」「ママ」と この程度。


渡辺:「で、ようするに最後のアウトプットのところにだけ問題があるんだったら、『手話にしちゃったらどうだろう? のどを使わないで』というんで、ガードナーっていう人が手話を使うチンパンジーっていうのを訓練して……ですけど…、言語とはかなり違うということがわかってきました。
    というのは子供の言語の発達 見てきますと、最初はモノマネみたいなことやるんですが、段々ね、話が発展してるんですね。例えば、わんわん来たよ。わんわん来たよ。尻尾が長いね とか発展していくんですね。 ところが、
    チンパンジーたちの手話って それがなくて ほとんどが要求です。つまりエサを欲しいとか くすぐってとか 基本的に要求言語なんですね。
    それからやっぱり文法構成が貧弱ですね。要するに電報みたいなやつなんですよね。だから言語が人間の特徴であることは明らかなんですね。 ただし こういうのもあるんです。」

と、渡辺先生 ノートPCに再び映像を流す。
画面にはオウムと一人の女性。註釈として 『特殊な訓練により 簡単な会話をするようになったオウム「アレックス」』と。
そして女性が、皿に乗った黄色や緑のブロックを見せながら、
「グリーンのブロックはいくつある?」と、
オウムは「ツー(二つ)」と。

そして次に別の物を見せながら女性が「なんのオモチャ?」と聞く。
オウムは応えるも、女性は「違うわ」と。

VTRを見ながら 渡辺:「飽きてきちゃったんですね。」

女性は席を立ち、部屋から出ようとする。女性:「バイバイ」
オウム:「ごめんなさい(英語)」

VTRを見ながら 太田・田中:(笑)

オウム:「ここに来て」
    「ごめんなさい」
    「行っちゃうの?」

VTRを見ながら 太田:「かわいいな コイツ」

オウム:「僕、悪い子?」
女性、部屋に戻ってきて、
女性:「あなたは悪い子よ!!」
そしてまた女性とオウムが会話(?)をする。


太田:「どうなんだろうね これ 会話なの?」
渡辺:「訓練はかなり難しいんですけれども、あのくらい 僕らとのコミュニケーションは成り立つんです。」
田中:「あれは 分かってるんですか?」

渡辺:「文法の構造が分かっているわけじゃなくて それ」
田中:「パッケージとしてね。」
太田:「その感情になってる?」
渡辺:「えぇ」

太田:「うちの鳥もね わりと近いもの ありますよ。」
渡辺:「オウム飼ってらっしゃるんですか?」
太田:「オウムというか 大型インコなんですけど」
渡辺:「喋ります?」

太田:「やっぱりね、人が帰る時に「バイバーイ」って必ず言う。帰る時しか言わない。」
渡辺:「うん。分かってるんですね。この状況の時にこれを使う。」
田中:「おかえりなさい も?」
太田:「おかえりなさーい も 必ず。」

渡辺:「うん。で、こういうふうにその動物と人の異なる動物の間のコミュニケーションって 今みんなわりと一生懸命やってるんだよね。
    ですけども、それを オウムの中に僕らと同じような心がある、あるいは犬の中に同じような心がある ということではない。
    コミュニケーションが成り立つということと、中身が同じ ということはちょっと違って。そこを誤解してしまうと、昔 擬人主義 って言ったんだけど、人に擬して動物を考える って そういうふうになってしまうんで、そこは気を付けなきゃいけないんですけども。」


《ナレーション》
 動物と、取り敢えず喋ることはできる。
でも、だからとい

って 彼らの心が理解出来ているわけではない。私たちは動物と本当に分かり合える日はくるのか。


太田:「ウチに猿回しの 太郎次郎っていう芸人がいて、ちょっと前に結婚したんですけど。その飼ってる次郎がね、そのカミさんだけは 絶対に キーッ!! ってやるわけですよ。」
渡辺:「そう。」
太田:「嫉妬 っていうんですかね。」
渡辺:「えぇえぇ。それはわりと社会性のある動物は多いですよね。」

太田:「愛情っていうのは やっぱり我々と同じようにありますよね。」
渡辺:「そうですね 愛情……アタッチメント 執着する っていうのはすごくありますね。」

太田:「逆に動物……犬、猫なんかは 死 っていうのはどうとらえている?」
渡辺:「それはまた別な問題ですけどね。あの―…死んだ動物を、死体を持ち歩くってのは 結構サルなんかありますよね。」
太田:「あれ見てて、かわいそうだな って思いますけど、でも別にアイツ おれたちが思うほど そうじゃねぇな っていう目はしてる。」
田中:「目なの!?」
渡辺:(笑)

太田:「普通に物理的に持ってるみたいなことで、死への恐怖みたいな…要するに一番大きいところっていうのは その心理的のね、動物と人間の一番大きい違いって、死を恐れるかどうか っていう感じがするんですよ。」
渡辺:「うん。それ人間固有かどうかは分からないんですが、あの やっぱり 脳内の機構として かなり あることはあるんですよね。死への恐怖って。
    逆にね、あの、臨死体験をした人が、「死ぬのが怖くなくなった」って言うんですね。「あれなら非常に気持ちいいか」 ってことは 逆に言うと、
    それをやっていない人は どういうことが起きるか分からないから ものすごく怖いですよね。死ぬ時ね どうなるか キリスト教の場合はキリスト―…… 僕らの場合は 三途の川とかね。そういう文化に調整があるんですけども、脳の中に死ぬ間際に「こういうふうな感じになる」っていうのは、どこか組み込まれているらしいんですよ。それが いつ どういうふうに組み込まれているかわかんないんですけどね。」

太田:「でも動物は? なんかね そこが不感症なんだよ動物たちは。」


太田:「あの―…だから こないだ…
    土浦連続殺人の犯人の公判があって、あいつはまったく ホントにやりとり聞いてると 人間の命ってのは「人間は蚊を殺すことと同じです」って言ってるんですよ。で 要するに ライオンが獲物を食べる時に相手に悪いと思いますか って、それと同じですよ 要は、ってわけね。
    確かにそれは でも、おれはね、あ、動物はそういう意味で言うと、面白いも つまらないも 相手が死ぬこともすごくクールでいるように見える。
    その代わり愛情はあるのに、愛情も想像力も動物はおそらく持っているのにもかかわらず、その 死 っていうことに対するドライさ っていうのは なんか おれにはその動物を見ていて違和感ですよね。そこが動物と人間の決定的な違いであって あの犯人が言う、「僕とライオンは一緒です」って言ってるところは そこでおれの中で繋がる。」
田中:「なんか繋がっちゃうね」

渡辺:「そこは難しいところですね。向こうの 言語的な 当人の解釈したものを僕らは聞いてるので 本当は何か っていうのはなかなか再解釈していかないとわからないので ちょっと難しいところはありますね。」

太田:「難しいですね そこはだからおれなりに解釈するしかない。コイツだから ホントに…なんか子供の頃 子供の頃かなんかわかんないけどとにかくその、家庭で あー 楽しい とかって思ってないとしか思えないんだよね。
    で、逆に言うと、思ってたらそれが悲しいっていうのがわかるんだけど…でも だからそこがね…」

渡辺:「喪失に対する恐怖っていうのが ないんですね まったくね。」
太田:「犬だって わーって喜ぶくせに 死に対して なんかドライだろお前…」
田中:「たぶん 先のことを やっぱり 想像するっていうのができない だから 今は楽しい 現在はあれだけど 今、こうやって楽しいけど、2年後にはおれ死んでいるかもしれない っていう 想像することは出来てない っていうことだよね」

太田:「なんでそこだけ出来ない… だって ずーっと寂しくても、帰ってこないかなーって待ってることは出来るわけでしょ。」
渡辺:「でも、それは量的な違いだと思うんですよね。」
太田:「うん…」

渡辺:「近い、短い量だったら 僕らでも動物でも恐らく同じだと思うんですけれども 明日の明後日くらいは。でも 一年先、二年先 自分が「老衰した時に…」とかっていうのはないんだと思う。」

太田:「ま、でも おれたちより野生なのに、なんでそれだけわかんないの そんだけ生きて死ぬっていう ね。現場に我々より いて、目の前でね、サバンナでシマウマ死ぬとこ見て育ってるわけでしょ。あいつら なんでそこに無関心でいられるの 不思議だよ…(笑)
    なんつーかな…」
田中:「やっぱ 先を考えてるっていうことが想像できないってことだね。動物がね その しづらい。」

渡辺:「それを考えることによって その 動物が進化する上で 役に立ったかっていうと あんまり役に立ってないと思うんですよね。」
太田:「おー…」
渡辺:「あの 動物の進化っていうのは結局は子供をたくさん作るっていうことですからね。いつも死のことを考えているオスが たくさんのメスを獲得できるかっていうと 多少ニヒルでいいかと思うかもしれないけれども まぁ、陽気なほうがいいんじゃないですか。」
太田:「っははははは!(笑)」
田中:「ホントそう!ホントそうですよ。」
太田:「そうかぁ? そうかね?」


“一緒にいても違う世界に生きている
 でも、どこかに通じる道はある。”


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ネズミの、空間察知能力というか、エサまでの辿り着き方というか。前、NHKスペシャルで男と女の違いについて地図の読み方やってた時に、近い感じというか。

ネズミが人間に近いような空間察知能力を持ってるってコトなんですかね。

チンパンジーが喋れないのは、のどの構造上無理、ってコトは オウムとかは喋れる構造ののどをしていると。

で、文法構成はともかく『要求言語』って、人間もそういうのが多く見られることがあるような。相手のコトを考えるっていうことをせずに、どこか相互関係がインスタントで、『子供を増やすことが進化』とか、なんか…ねぇ。

あれが欲しい、これが欲しい、こうしてほしいとか。そういうのばっかりな人間ばかりの中で、ワガママになっていって、それが当たり前になって『要求』できない人が、『要求』することを我慢してネガティブなほうに行ったりとしたら もう…ってこれは考えすぎか。

『先のことを考える』コトについては、最近ほぼ日で糸井さんが今日のダーリンで書いてらしたような気がしたけど、なんだったっけ…。

土浦の犯人の話に絡ませて、楽しいを感じるコトと、悲しいと感じるコトについてありましたけど、喜怒哀楽はそれぞれ感じてこそ、それぞれの感情に浸れると。

喜怒哀楽を全て感じるからこそ、だから“強く”なれるんだろうね。

『温室で育つ花は冷たい雨を知らない』(Ruvie : nameless song より) では良くないですからね。

ところでHPの爆笑問題の対戦感想に、太田さんのコメントで、

『逆に人間は、動物と会話が出来たら、当然動物をもっと殺せなくなるだろうし、ウシとかブタでも食うことが出来なくなるだろうけれども、動物の側はそうでもないんじゃないかなっていう気がする。』

これは あるでしょうね。

ウシとブタが会話できるようになったらどうなる…っていうか、肉食動物(ライオンとか)と草食動物(シマウマとか)が会話できるようになったら、ライオンはシマウマの話を聞けても殺すのかな。食べるために。生きるために。

だけど、ライオン同士は殺し合いしないですよね。(ゴメン 知らないけどさ)

お互いに喋れる人間同士が、動物の種類としては同じ“人間”同士でも殺したりするのは、他の人間以外の動物の殺す理由とは全然違ってきますよね。

いつも死のことばっか考えてるより、陽気なほうが良いとは思いますけど。ま、それだけばっかでもなぁ、とも思いますが。

異なる生物同士がコミュニケーションすることが最終的にどこへ行き着くんでしょうかね。

そして次回、つか明日の放送は 永井均先生 哲学ですよ!

野矢先生、木田先生に次いで3人目の哲学の先生。

「他者とのかかわりの中にしか<私>は存在しないのでは?」という発言がHPの次回予告のとこにありますけど、どう展開していくのか。楽しみです!