藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『FILE073:人類よ声を聴け』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養
2009.06.02.O.A.
『FILE073:人類よ声を聴け』を、見ました。

文化人類学川田順造(かわだじゅんぞう)先生。

番組内容、うろ覚えチラホラありますが、内容、気になった点 などなど。

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(太鼓の音で、王朝年代記を伝えるモシ族)
川田:「モシ語っていうのは、日本語と違って音調言語。
たとえば シダ(語尾下がる)って言うと「夫」っていう意味で、シダ(語尾上げる)って言うと「本当」って意味」
太田:「それじゃあ 太鼓の音も 高いと低いで違うわけだ」

川田:「言葉の原体 それが脳にあって、それが口から出ると こういう言葉になる。口から出ないで、指先の動きになって出ると これ(太鼓言葉)になる。

文字なんていうのは ね 、ごく新しく、一部で発明された。
しかも それを 人々が、大勢の人が使うようになったのはものすごく新しい。
文字教育が普及したのは日本は寺子屋教育のおかげで 江戸時代からかなり普及していたけれども、ヨーロッパになると19世紀になってからみんなそういうのを 文字を使うようになったわけですね。
だから結局、あの 文字を使うというのは 人類の中でも ごく限られたものだった。
ただそれが普及したために それで人間が得たもの というのは それは非常に大きいし、その知恵を蓄えたり、洗練したりする上に かけがえのない大きな力。」


川田:「言葉にならない 声の 伝達」
太田:「文字にしちゃったがために 失ったものってあると思うんです。」

(たとえば「がんばれ」っていう言葉。言うことによって別に追い詰めてるわけじゃないんだよ、っていう。言う側の想像力、受け取る側の想像力。)

太田:「言葉にならないことばかり言っていてもさ 駄目だし。
言葉だけに よってっちゃっても駄目だし。
その中間の…」
田中:「曖昧な部分」
太田:「それを表現したいんだけど、それっていうのがすごく難しくて…」

(川田:「こんにちは、さようなら、ありがとう が、無い。人間関係や、立場が複雑。
また、さようなら と言うにしても どこに行くか異なるため 状況によって細やか 込み入っている。」)

太田:「言葉に ヘレン・ケラーが言葉を持った時に失ったものをつなぎ留めて 我々のぐちゃぐちゃしたものの中に染み込ませていくのが本当の残す…っていう。
感情を消すな ってことでしょう。」


川田:「家内とアフリカで、日本語を使う人間としては二人だけで…しかも始め 新婚早々に行ったんですよ。
そうするとね だんだんね 毎日 朝から晩まで同じ体験をして それで二人だけで日本語を話していると、言葉が衰退するんです。
つまり いちいちこういう めんどくさい表現をしなくても よく ツーカーの仲とかって言うけども かんたんな合図で意味は伝わっちゃうわけ。 だから 言葉っていうのは やっぱりある程度 よそよそしくなければ成り立たない っていうことを感じたんです。」

太田:「必要ない ってことかな それは」
川田:「ツーカーで通じちゃうからね」
太田:「通じちゃうから」


太田:「なんでも 交流するのは なにかしら探していることだと思うんですよね。
自分から発信して どう返っていくかによって 自分ってなんだろう こいつはなんだろう 先生はなんだろう っていうことを探っているわけじゃないですか。
そのために 言葉を使って 表情を使って 音を使って 声を使うわけですよね。
で、それっていうのは最初に赤ちゃんが生まれて、オギャー オギャー オギャーって泣く。っていうことから 根本やっていることは 変わってないような気がするのね。
つまり ガーッ て叫んで 周りの反応確かめて 自分の感情をなんとか伝えようとする。
で、楽にしてとか 苦しいとか 楽しいとか っていうことを まぁ大人になってもそれと同じことを 言葉をたまたま覚えたから言葉によって伝えようとするだけで、基本、自分はここにいるんだ っていうことと、あなたはどこにいるんですか っていうことと。っていうのを確かめ合う。」

川田:「やっぱり あの 声っていうのは 自分と人とをつなぐものですからね。みんなが 声でコミュニケーションしないようになったらばね。
僕はメールのやり取りって嫌いなんだけども、電話の方がずっと好きです。」
太田:「メールはメールでちょっとは面白いですよ。先生やんないすか メール。」
川田:「感情も こもらない」
太田:「いや、こもるって」
川田:「あ、ホント」
(笑)
川田:「そりゃあ だって もちろん文章表現で感情をこめることはできるけどもね。ただ本当に一番大事な約束ってのは 口でやるのが大事ですよね。
あの 子どもの言葉遊びなんか聞いてると、とっても 声が 子どもが いきいきとしていて。今の日本の子どもだと おそらくパソコンとかテレビゲームとか そういうもので熱中してるから 一人で閉じこもっていたんでは これだけ いきいきとした声で 人とコミュニケーションできないんじゃないかと。

そのお二人は まさに声の専門家ですが 声の復権。声というものを もっと大事にして みんなでそれを大事に使うようにしたい というふうに僕は思うんです。」


『どの声もたった一つの響きを持つ。
どの文化もたったひとつの輝きを持つ。』

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『自分はここにいるんだっていうことを〜〜確かめ合う』

これで、次週放送ぶんのFILE074に繋がってきてたのかな。

結局それがコミュニケーションすることの本意というか。
言語化しにくい感情を出す、っていう。太田さんが一貫して言葉に対する疑問を持ってるコトですね。
そこに今回は触れた回だったのではないでしょうか。
太鼓の音で伝えるとか、先生の、
「言葉っていうのはある程度 よそよそしくなければ成り立たない」
って言葉とか。

メールのやり取りでは簡素なメールが感情が分からなくて困るコトもあるかもしれないけど、
発声する、話す、っていうコトが大切なのでしょうね。