藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“令和元年 五月四日。”

f:id:mooth1006u3:20190504184532j:plain

 

あー。

久々にどうでもいい文字の羅列でも打ち込みますかね。

もぉ、はてなで書いてることもnoteで書いてることも差別化できてない感じがしてるし同じことを毎日書いてるし、同じことばっか書く意味があるんかいな って感じなんですけど、
最近はずっと『吐き出すこと大事』ってコンセプト(?)でやってるので、同じことであろうと媒体がどこであろうとアウトプットはガンガンやっていこうって感じですね。

因果がどうだとか関係性がどうだとか、これが起きたのはこれこれこういうことの繋がりがあったからだとか前世がとかスピリチュアル的にどうだとかクソどうでもいいですね。

知らんし。

勝手に罪を背負わせてくるのはやめなはれ。

毎日ただ穏やかに楽しく過ごせていけたらそれで良いのですよ。
そんでお金があれば尚良いのです。

割と挑戦もしてきた方だと思うし。
安牌キリ切りながらも博打を打ちたいじゃないすか。
両方大事ですよ。

ダラダラするの好きだけどダラダラし過ぎると時間が勿体なく感じるのも強いから、同じことであったとしてもひたすら書き続けておきたいですね。
この文言自体が何度も書いてますけどもうなんかそれでもいいや って感じで何度でも書いてますよ。

今はなんでもいいけど取り敢えず書こうということしか無いので、パソコンに向かってキーボード叩いてれば何かしてることになりますからね。
机に向かって、白い紙を目の前にしてもなかなか進まないんですよ。
だったらせめてちょっとでも進むほうが / カタチに残る方がいいじゃないすか。

だからって何もしないことが価値が無いことだとかそういうものでも無いんですけどね。何もしないことがめちゃくちゃ難しいことも感覚的に体感したので、そりゃ何かしてた方が、「なにかやった気になれる」から、その『気』の為だけに動いてる って言っても過言では無いと思いますよ。

いくら動いていたとしても、『状態を維持する為に動いてたこと』ってなかなか認知されないじゃないすか。目に見える変化があった方が、変化を楽しんでたり出来るからね。


『変化してないように見せる為に在り続ける』って難しいことだなー って思いますよ。
『変わらない為に変わり続けなければならない』 って言葉も聞いたことあるけどさ。


どうしても可視化できることでしか分からないけどね。
そこでわざわざ見せるのもなんなんだか って感じですが。
ま、それがいけないワケではないし。どっちでもいい。


1000文字を超えたのでここで閉じます。