藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“何がしたいのかわからない。”

何をしたいのかわからない。
何をしても楽しくない。
何をしてもつまらない。
何をしても虚しい。

……すべて同じ意図の言葉として…、

『何をし…』とGoogleの検索ワードに入れようとすると、大概、このへんのワードが自動検索で出てくるんだけど。そんなような言葉を検索しては、自分と同じ症状の人の状況を知って処方箋を求めてみたり。

何度か最近書いてますけど、私という存在は非常に空虚で。

いったい何が好きなんだろう。
何故 好きなんだろう。

瞬間に沸き起こるその感情すらも私にとっては疑問でしかない。
実に無味乾燥。
ただ生きるためだけに生きてるだけで、ただ無駄に消費活動するくらいなら、とっとと土の肥やしにでもなってタヒねばいいだけだろwww
……って感じ。

じゃあ、何なら頑張れるんだろうか、と。
フツーに、仕事というものなら、別に自分というものをわざわざ出す必要は無く、与えられたものを遂行していけば良いだけ。誰でもいいのですよ。
恐怖政治的に尻を叩かれながら、「やらないと怒られるから」という動機で全てを仕方なく受け容れて全うする。
そして、「やらないと怒られるから」をクリアして、安堵の安心を得て、一応の褒められる態度を頂いて、そこでやりがいを見出す。
……なんて虚しいことかと。

けど、そう、それが全てだったりする。
動機の全てが他者に重点があって、そこに人格まで委ねようとしてしまう。

「いい子になりなさい」と。「人の痛みが分かる子になりなさい」と。
ただ、人のためでありすぎて、私の動機が無い。私から何も動機が沸いてこない。所謂ワクワクしない。
生きる動機が沸いてこない。
せいぜい、死んだら親くらいは悲しむかもしれないからなぁ。と、そんな程度だ。
だからそれまでは死なないように。なるべく安心させられるように。

いい子は都合のいい子。
それゆえに どうでもいい子。
他人にとっての私もどうでも良かろうが、私にとっての私もどうでもよくなってきた。
だから要らない。と、よく思う。

たとえどんな不安定なメンタリティであっても、下を見て安心し、「私と同じく過酷な境遇な人もいるし」と、みんながいるから と。みんな大変なんだから。
……大変に さ せ て い る 人 は 特に大変じゃないけどね。

じゃあ、人の痛みなど知らないで、人に迷惑をふりまくソイツらはどうしてそのままで許されてるんだ。
よくもまぁ、その腐った人格で何十年も下劣な価値観引っ提げて生きてきたなテメェは、と。
……そう思ったりも。(このへんは後日。)


人に合わせて、人のために、みんなのために。
社会のために滅私奉公。仕事だけで済めばいいものの、生き方全てが滅私。
いつまでもいつまでも人に嫌われないように、社会に嫌われないように、世間に嫌われないように、空気に殺されないように。…ようにされるくらいなら、

私を
殺そう。

愛想よく振りまいて、笑顔振りまいて。笑顔でいれば、自然と幸せ訪れる、って言うからね。
あぁ、じゃあ今 笑顔なのは、なんで笑顔なんだろう。何が笑いのポイントだったっけ。
とりあえず笑っておけば良かったっけ。何が楽しかったっけ。何が好きだったっけ。

私はよく体調を崩す。
どこか、無理して頑張ってる私カッコいい☆ ってコトに酔ってるのはあると思う。
けど別に、いっそのこと、くたばればいいのに私 とは普通に思う。
昨年、貧血で気ぃ失ったときも思ったけど、そのまま“向こう”行けば好都合だったのにねぇ。(たかが貧血でいくワケねぇけどな。w)
みんな死ねばいいのに的な破滅願望じゃなくて、みんなは生きててほしいけど、私はどうでもいい、という破滅願望はあるよねー。言うよねー。(発言に愛が無いなー)
でも、いい人なら、どうでもいい人なら、どうでもいいものねぇ。


私を殺し続けてきたから、私を生かす、活かす理由が、動機が… や、理由や動機などを超越した衝動的なものすらも掻き立てられない。
だから何をしてもどこかつまらない。

今、何かを好いて笑ってるこの感情は・表現は、惰性の感情を表現しておけばそれでいいや、って思ってるから行ってる無意識の打算なんじゃないか。


実に、
虚無。


何がしたいの 私?