藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『FILE158:「ニッポン奇祭列島」』を見た。”

2011.09.08.(再放送2011.09.12.夜中)

爆問学問 FILE158:「ニッポン奇祭列島」 を見ました。

今回の先生は、
三隅治雄(みすみはるお)民俗芸能学・芸能学会会長

杉岡幸徳(すぎおかこうとく)奇祭評論家



以下、番組を見ながらの色々なメモ。


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沖縄。パーントゥ 泥まみれの神様。
 子どもとかも含め色んな人を泥まみれに(しかも臭い!)していく。車(内装も)も、新築の家も。
 ンマリンガー 命がよみがえる泉 から。


よっかぶい。  鹿児島。南さつま市
 無表情を装った人が、子どもを親から離して袋に入れようとしたり。袋に入れてそれを持って走ったり。。。
 無病息災だとか。


岐阜県川辺町。桶がわ祭



牛のり くも舞秋田県
 寝ることによって 神様が乗り移った(ということらしい。。。)。
 スサノオノミコトを演じる(?)。
 で、寝たままヤマタノオロチを倒す。(というか勝手に…。)



撞舞茨城県
 カエル(?)に扮した人が。(雨を呼ぶため。田の神様。)
 14mあるところから矢を放つとか。
 とび職の人やら、元・体操部やら。
 これをやる人は自己責任で。


「祭りで死んでも 文句を言ってはいけない という土地もある。」

だんじり祭りにはだんじり保険もある。」

「日本には 本当の『悪の神様』はいない。」



昔の歴史上の人物で、悪さをはたらいたものも神様にしている。
 菅原道真e.t.c...




ナニャドヤラ。という盆踊り。青森(の南部から岩手県方面)の祭り。
 キリストの墓の前で盆踊り。
 『ナニャドヤラ』という言葉は日本語として意味不明。
 “何でもしようよ”という意味であるとか。

三隅:「本音ではないことを内心 思いながらも楽しむ。」

杉岡:「キリストの墓は世界中に何十個もある。」

杉岡:「シュールレアリズムの絵みたい。」

太田:「日本は いいかげんさ で 平和を守ってきた。」


おんだ祭り奈良県明日香村。
 ステージにござを敷いて、おかめの面とか、天狗(?)の面を被った人と もう一つ面を被った人で、性行為を模したものを。
 で、天狗の鼻をアレに見立てて、紙でソレを拭き取って、それを配ったり(? w)
 その紙を『福の紙』(?)だとか( )。

杉岡:「エロ系の祭りは多い。」

三隅:「人間の倫理を取っ払ったところにお祭りがる。  暴れれば暴れるほど、神様は喜ぶ。  今では倫理的にとらえすぎている。」


ジャランポン。埼玉県。
 死装束を着た人が棺おけに入る。葬式ごっこ
 お経を上げるけど、お経もテキトー。
 厄年や、不幸があった人が死人役をやる。
 村全体の厄落としにもなる。


三隅:「パクられたらどれだけパクられたかで喜んでた。 パクったものを自分のものにしていた。」
太田:「中国のディズニーランドみたいなヤツもあれを本物とは誰も思わないって。(笑)」


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あまりのいいかげんさに見ながら笑ってしまいましたが。(笑)

リンクも張りましたけど、それぞれの祭りをググったら本当にそんなような祭りがあることがちゃんと詳細書かれてあり。
実にバカバカしく……ゲフンゲフン…えー、まー、愉快ですね。えぇ。

あー、なんつーか、私 あまりにも下らないコトで悩んでたのかしら?とさえ思ってしまいます。

いやー実に日本らしい。キリストの墓の周りで盆踊り ってのが一番象徴してるよね。
この神様が実にいいけげんに扱われてる ってのが。


HPの対談後感想での太田さんのコメントが、(後半部分を以下 コピペ)
世界中どこでもそうだけど、「神」っていうイメージは、やっぱり「乱暴者」っていうのがあるんだよね。下手すれば人間よりも野蛮で、何をしでかすか分からない、みたいな神様がいて。で、そういう野生に近いようなものをなだめて、ヨイショしておだてて、それと同時にばかにもして。何か茶化して、普段の恨みも忘れるというか。何かそういうもののような気がしましたね


あと、神様の意味みたいなもの、神様の価値というか、“最高位の価値観(=神様)”というものが、常に一定では無い っていうかね。そういう印象を受けました。
戦争によって価値観がガラッと変わる っていうのをこの国は経験してるワケですからね。

たとえば、揺るぎないもの として、自然とかあるワケじゃないですか。
大気(空)の流れとか植物、海の流れ、地殻の動き とか。こういうものを神様とも置き換えられるんじゃないですかね。
太田さんが“「神」は乱暴者” って あったけど、 時として自然(=神)は人間とか生きるものに対して猛威を振るう場合があるけど、恩恵は常に享受してるわけで。あまり意識してないけど。で、それを なだめたり、崇め奉ったりしたり。“自然”に置き換えると、その有形でありながら無形のものへの畏敬を表してる っていうコトになるんでしょうかね。
たとえば神にお酒を振る舞うのも正しいかなんて分からないワケですからねぇ。


だからまぁ、その土地なりの 敬意の払い方というか、土地を祀り上げる(土地を、その町を、重視して賑やかに盛り上げる)というんですかね。
そんな意味があるんでしょうかねぇ。



なんかカタいコト書いてしまいましたけど、
神様がいいかげんであるように、こんな理由づけするのも実にナンセンスでしょうから。(笑)
エロい祭りには是非 恋人同士で行って、キャーキャー言いながら饒舌にアレな方向へ盛り上がればいいじゃないか。(投げた。w)