藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 10”

『“付き合う”って何?』





あのねぇ、どうしても『付き合う』が『契約』にしか考えられないのよ。

もっと言うと、あれだ、結婚なんていうのはその最たるものなんて思ってしまいますよね。役所を通すための書類という鎖というか。


それは『好き合う』とか『愛し合う』よりも重要な位置にあるみたいなんだ。一般論で。
あくまでも一般論だ。そうじゃなきゃオカシイでしょう?
で、『付き合う』と『恋愛をする』も違うんだ。

『愛とは、相手の幸せに貢献したい気持ち』野口嘉則 著“3つの真実”

『愛とは与えるものよ』 美輪明宏

『愛情の証明は 小さなことを忘れないでいる 記憶力の誠意だ』阿久悠 著“清らかな厭世”

『“恋”と“愛”を行き来するのが恋愛』
『恋愛は感性のレッスン』美輪明宏


果たして素晴らしい“恋愛”を経て“感性”が培われた大人ばかりでしょうか?
仮に柔軟な感性を身に着けたとして、それに慣性がはたらいて感性が鈍ったとでも。

あと、付き合ってる人のコトを“恋人”と称して、浮気相手みたいな人のコトは“愛人”なんですかね?
“恋”と“愛”自体の意味で言うと使い方が異なると思うし。


あぁもうホント分かりません。
男女間の『付き合う』という『契約』を交わした方が『安心』するという気持ちは分からないではないの。
けどそれだと『契約』ありきじゃないのさ。信頼の無い安心社会というヤツですか。
『契約』を交わしていれば(『付き合う』とお互いが承認したら)、ほかの異性と遊んだ時に『契約』違反だと言える。?
また『契約』してなかったら(お互いが『付き合おう』という言葉を出して宣言してなかったら)、ほかの異性と遊んだりするのは……何ですか?普通?仮に『好き』と言っていても。普通の友人知人?


ま…、結果『まっしぐら』になるのか『火遊び』なのか知りませんが。



周りの空気を読んで自分を表現したりして窮屈になったり、好きな人の為に何かしてあげたい。…けど私にも!…っていう。


なんかね、KYじゃないけど、空気を読むコトが良いことであったり、周りに意見を合わせたりしなければならなかったり、正義感を行使しなくてはいけなかったりで、『主観』が失われつつあるんだったかな。…もう失われてるのかは知りませんが。
糸井さんが前言ってらした、『主語を持つこと』の大切さを言っていて。
是も非も。まぁともかく。


『買い物に“付き合う”』とか。
人に付き添う。寄り添う。


『付き合う』ことに対してこう疑問があるワケなのよ。
だから私なりの『付き合う』が合って良いワケよ。
(相変わらず投げやり気味やなぁ)




(別に当方が恋愛で悩んでるワケではなく、ブログのネタが無いので思いついたこと書いてるだけですよ。)