藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『街場のメディア論』読了。”

内田樹 著、『街場のメディア論 (光文社新書)』を読みました。

初めて内田樹さんの単著を読みました。(共著としてなら1冊読んでたのですが今まだ途中…。)

最初の、メディアについて触れる前に第一講の“キャリア”についての項で、これだけでも大きなものがありましたね。

自己評価からの特性の判断はアテにならない。と。
“みなさんの中にもともと備わっている適性とか潜在能力があって、それにジャストフィットする職業を探す、という順番ではないんです。そうではなくて、まず仕事をする。仕事をしているうちに、自分の中にどんな適性や潜在能力があったのかが、だんだんわかってくる。そういうことの順序なんです。”(P.18)

なんていうか、やってみないと分からない。やってみて、それがたまたま出来るコトだった。他人から依頼されるようになった。それが“『自分』の仕事”というコトなんでしょうかね。
自分自身の“やりたいこと”とは違くて。(コナン・ドイルや、ニュートンの例が興味深かったです。)

あとは“他人のため”っていうコトや、その場で必要と迫られれば自然と発揮する。(発揮せざるを得ない。)
外的要因が能力を育むという。
競争により勝ち抜いた、“強い個人”では無い という。

たしかに“他者からの懇請”というのは嬉しいし、やる気も出るよなぁ。なんて思いましたね。

で、本編のメディアについて。

第二講の“メディアの嘘と演技”からテレビについてなのですが、第三講“メディアとクレイマー”の中にあったサブタイトル“被害者であるということが正義?”の項はなかなか。
そのサービスを受け取る側の立場は圧倒的に優位で、『サービスを受けるコトは当然』という。『対価として金払ってるんだから当然だろう』的な。あとは
“弱者とされる人に行き過ぎた行動があったとしても、社会に有効な形で伝えられることは無い。”(P.76 一部表現改変。)

と。続く第五講でも『世論』について、『誰もその言責を負わないこと』を“世論”としている というコトで、

たぶん ここが批判一辺倒では何も変わらないというコトで。意見が建設的では無いんですよね。意見に、発言に 責任を負う必要のない言葉だから、たとえ何か事実が逆転しても手の平を返したり、言説を無かったことにしてしまったり出来てしまうんですよね。

“どうせ口を開く以上は、自分が言いたいことのうちの「自分が言わなくても誰かが代わりに言いそうなこと」よりは「自分がここで言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選んで語るほうがいい。”(P.103)

これが出来たら良いんですけどね。

人間をビジネス的に扱うこと(『患者さま』とか)について で、『最小の代価で価値のあるものを手に入れる消費者』、そのような扱いや、態度を取り続ける限り、結局 やっぱり人間は人間を“もの”としてしか使 わ な い んじゃないかと思ってしまいますね。

“社会が変化しないとメディアに対するニーズがなくなるから”(P.111)という辺りで、政権の混乱、株価の暴落、無差別殺人などがあると部数が伸びる、視聴率が上がる。と。

これが変化を求めるコトが大好きだという メディアはそういうもの。持病みたいなものだと。

…しかし、これって、個人レベルじゃなんともならん問題なのかね。確かに人間自体が刺激があったほうが生きる糧だと(勘違いして)思うので、度重なる変化を求めるのではなく、フツーに生活するコト自体から、穏やかな態度で臨むことが大切 ? なのでしょうか。

後半は出版について。

本が、書物が、『本を読んでくれる人のため』か、『本を買ってくれる人のため』か。という根本的なところが先ず読んでて衝撃的。

や、その根本に今までなにも考えてなかった というのもおかしな話ですが。

たしかに電子書籍の良いところは、『手に入りにくい本が読める』という点でしょうね。

“「読む人が現時的にいようがいまいが、いつかアクセスしたい人が出てきたときにすぐにアクセスできるようなシステム。」(中略)これまで読者として認知されなかった人たちを読者として認知したこと。”(P.131-132)

ちなみに私は電子書籍は苦手で。やっぱり紙の本が良いんですよねぇ。

漫画の話になりますが、

雑誌でやってた漫画連載の続きをweb雑誌で完結させるとかは勘弁ですが。読み切りや、新連載をweb雑誌で読んで、気になったら実際に本を手にする っていう。

話が脱線しますが、『モーニング・ツー』をネットで無料公開とか全然アリだと思いますよ。ただ私は1回も見たコトなんですが。(笑) あと、雑誌が売れてなくて、単行本だけが売れてる っていうのもありますが、私は雑誌自体が面白ければ雑誌を買いますけどね。

なんていうか、柱から企画ページから、その雑誌独特の色が出てる、且つ、漫画自体をサポートするような読み物だったら雑誌全部読めるんですよね。ただ空きスペースに広告ばかり載せてるんじゃなくてね。(広告自体をネタにするとかだったら面白いに)

話を戻して。

“書くことの目的が「生計を立てること」ではなく、「ひとりでも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」だからです。”(P.135)

これはすごくわかります。

私もこうして本や漫画などのレビュー書いたりしてますけど、稀に某サイトさんからリンク貼って頂いたりすると嬉しいですからね。ま、生計を立てるなんてコトが出来たら確かに嬉しいですよ。うん。そりゃ正直ありますけど、

共感されたり、何か読み手にとって琴線に触れるものがあったりすると書き手冥利に尽きますよ。

“読書歴詐称という知的生活”(P.152)

での、本棚に関しても頷くところで。あぁ、確かに並べ方も自己満足ですよね。確かに読んでない本もあります。「これは読んでおきたい」と思って買ったはいいけど読んでない本が。(笑) (私は買っても読んでない本があることは友人も周知のことで。(笑))

別に誰かが私の本棚を見るワケではないんだけどね。自分のための本棚をつくって誇示してるんですな。自分のために。

最後の“贈与”について触れられてるところは、もはやメディアどころではなく、コミュニケーションや、生きることにまで関わるコトですよね。

自分・私 という媒体(メディア)が、他者・相手という媒体(メディア)に触れること、言葉が行為が関わることが、自分に取って何をもたらすのかと考えるということ。

そこから“世論”には収まらない、自分の言葉や、行動が生まれてくるのかなと。「ありがとう」とか が ね。

なんか、色んなものが関連してて メディア論には収まってなくて たいへん面白かったです。ここからまたね、ほかの作家さんの本とか読んで関連性とか見つけていくのが面白いんだわ。

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