朝ドラ、「おかえりモネ」、第22週、第110話を見ました。
画像は「おかえりモネ」第110話より。
大変なことがあったのはみんな、身近な人は知ってるわかってる。
でも、そういう周りに対して、
「大丈夫、大丈夫」って笑顔で。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫じゃなかったとしても大丈夫。
おれの事情に、内面に介入してこなくても大丈夫。(結構です。)
頑張らないといけなかったし、
背伸びして大人になるしかなかったし。
大丈夫。
モネのやつは家から飛び出して東京でテレビに出てやがるクソが。
三生は寺のことを自分で決めるまで遊んでやがるクソが。
…みたいな?
「俺以外の全員に」だから誰にも心を開いてなかったワケで。
いや~~~、わかるよ?
わかるわかる。
おれの胸の内がそんな簡単に理解されてたまるか っての。
お前に何がわかる。
おまえらに何がわかる。
わかられてたまるかよ。
…みたいな?
や~、しかしみーちゃんがずっとそばにいたとしても無理じゃね?
って思いますけどね。
結局みーちゃんでは『大丈夫』の向こうの闇を吐き出させることが出来なかったし、無理解な人がずっとそばにいる ってキツくないですかね。
菅波先生のくだりの流れで、
「わからないけれど、わかろうとする」ことの大事さを言いたいのはわかるんですけど、容易じゃないよ?
色んな無理解を経験すると、理解を求めることに対しての学習性無力感が出てきますからね。
もっとメンタルがやられてくると、感情を起こすこと自体が虚無になっていって、大丈夫じゃないことを表明しつつも、うわべの闇で誤魔化しておいて、本当の闇を一切出さないみたいな手法を取りますから。(私が)
ヘラヘラと繕うことに慣れてきますので、
「本当はどう思っていたの?」
だなんて聞かれても、そんな問いにすぐ応じられなくて、相手に合わせた「適当な本当」を出して間に合わせておくだけですね。(私は)
わかってたまるかよ。
わかられてたまるかよ。
これまでさんざん心を開けだの言ってねw
無駄です☆