「強い調子で叱り飛ばし、人格を傷つけるようなことを言えば、相手は一念発起し、やる気を出して成長する」というのは、現実にはまず起きないことなのだが、なぜこんなことが「効果がある」と思い込まれてしまったのか。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2017年8月28日
真面目な話ね、怒鳴る人のところには正確な情報が上がらなくなるんですよ。
— あかり (@akari_webdev) 2021年9月1日
まぁ いつもの話ですね。
最近も書いたんですけど、怒って是正の言葉を投げつければ言うことを聞き 上手くいった と勝手に思い込んでいる価値観をお持ちなんですよね。
それが個人の価値観としても、一般的な観念としても踏襲されてしまってるんですね。
つか、ただ萎縮するだけですし。
『怒られないように』するだけですので。
如何に 怒られないように するかだけなので。
怒られないように上手くやるだけで、それは別に求めていた成果でもなんでもないんですよ。
というか、怒る人は選んでますからね。
怒る人、この人は怒ってもいい人だと決めつけて怒りをぶつけておられて、
怒りをぶつけて上手くいく見通しがあると思い込んで、怒りをぶつけて自分の思い通りにさせたい と思っておられますからね。
「これだから~」と決めつけたい人もいらっしゃいますし。
何度も書いてますね。
何度も書いてる理由はお察しですよ。
ところで、
怒りへの忌避ばかり書いてますけど、
togetterのコメ欄での
これはそうだな って思った。
それは私が怒ることが苦手なので、イヤなことされたときに即座に反応できずに、あとでモヤモヤと後悔することが多いからなので。
『反応』で怒る人を忌避している反面、イヤなことされたときにちゃんと怒ることが出来る力は 養い直したいですね。