生きる上で年齢は関係ないとよく言うけれど、ある程度の年齢までに自分の中でカタをつけなければいけないことは存在すると思ってて、私にとってそれは「与えられなかったことが恨めしい」という気持ちで、なぜならそれは自分を卑屈にし視野を狭くさせるから。そうなると無自覚のうちに他者を踏むから。
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) 2021年6月4日
基本的には年齢に囚われないように生きてるつもりだけど、この「人生で得られなかったものに対する執着や恨めしさ」 は30代でカタをつけられてよかったと思ってる。カタをつけたというより、歳をとって負の感情を維持するための記憶力と、それに囚われるエネルギーが枯渇したという方が近いかも。>RT
— クルクル (@krttn78) 2021年6月6日
だから歳を取るにつれ、気が楽になっていくんだと思う。というか、何もしなくても生命を維持するだけで疲れてるから、これ以上疲れたくないもんな…
— クルクル (@krttn78) 2021年6月6日
私は17歳(ぉぃぉぃ)設定なんですけど、17歳の頃の記憶とかありますからね。
で、なまじ記憶力もあるので、人から受けた理不尽とか覚えてますし。
既に卑屈になってますし、皮肉もけっこう思いますね。(言いたいけど言わないだけだったりしますし)
んで、結局手に入らないままで、欲しい とは思ってるんですけど、
まぁ「どうせ手に入らないし」って思ってるだけですね。
仮に、後年になって手に入る機会が得られたりしたら、傲慢になったり、かつて私を批難した人と同じような批難の仕方を向けることになるんじゃないですかね。
『呪い』を次の世代にも与えていきたい気持ちになるんじゃないですかね。
私の動力源は 怨念 みたいなところが強いので、
いつか見てろ 今に見てろ と思いながら、いつまでも執着し続けていて、
仮に手に入らないまま死んだとしても、あの世から未練たらたらに現世の人を呪うんじゃないですかね。
疲れるだけですよこんな生き方。
憑かれてるだけですよ こんな生き方。
ずっと枯渇したまま飢餓状態で虚無を食し続けていくんですよ。